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このコーナーでは、環境学研究科の教員や修了生がそれぞれの関心や出来事について広く語りかけます。

環境学入門と「環境学」と私

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社会環境学専攻 環境法政論講座
赤渕 芳宏 准教授
本教員のプロフィール

全学教育科目のカリキュラムが2022年度に大きく変更された。私は、着任直後より、主に工学部生向けの「日本国憲法」という科目を(憲法学の研究者でないにもかかわらず)担当し、工学部の定員減か何かの理由によりそれが2018年度限りで廃止された後、同時期に転出した教員が担当していた「現代社会と法」という科目を引き継いだ。担当して4年が経ち、講義の内容もようやく固まってきた中でのにわかのカリキュラム変更により、この科目もまた2022年度限りで廃止されることとなった(私のような末端教員には、正直迷惑な話である)。
新カリキュラムの下で講義を担当しないという選択肢も考えられないわけではなかったが、私の講座の先生方はみな引き受けておられるし、さてどうしようかと考えていたところ、新たに「環境学入門」という科目が設けられるとの話を聞き、渡りに船とばかりに2023年度より引き受けさせてもらうこととした。
講義の後半は、私の専門であり以前の「現代社会と法」でも扱っていた〈環境法の入門の入門〉の話をするとして、問題は講義前半をどう組み立て、環境法の話へとつなげていくかである。科目名に「環境学」とある以上は、「環境学」とはどのような学問であるのかについて一言する必要があろうと考え、ひとまず、書名に「環境学」を掲げる書籍を集め、「環境学」がどのように定義されているのかを見ていった。
「環境学」について何の説明もなしに記述を進める書籍が大半であることは意外であったが、それはさて措き、「環境学」とは何かにつき、最大公約数的には次の5つのことが言われているようであった。すなわちそれは、(1)環境問題の存在を前提としており、(2)従来の/既存の/伝統的な学問分野を基礎とし、さらに(3)これらを総合/統合するものであって、(4)環境問題の解決をも指向しているものの、(5)まだ確立/成熟していない学問分野であること、である。とりわけ私の関心を惹いたのは、「環境学」に関する比較的初期の有名な書籍にあった次の一節であった。
「環境研究はあっても環境学はないという考え方がある。環境研究は個別科学の一部として取り扱われており、環境学に固有の方法論が確立しているわけではないというのが、その理由である。本書で述べているように、個別科学で環境問題を論じるべきか、独立した一個の学問として環境学の確立を目指すべきかの判断は難しい。本書は、個別科学の成果を踏まえない環境研究は説得力をもたないという立場にたつが、同時に、個別科学の枠内にとどめる環境研究にも限界があるという点も強調している。結論として言えば、個別科学の環境へのアプローチを総合化したものが環境学であり、ネットワーク型研究の推進によって環境学としての方法論のユニークさを保持できると考えられる」(武内和彦ほか『環境学序説』(岩波書店、2002年))
ここでは、「環境学」は一応〈ある〉とされているようである。だが、そこにいう〈個別科学のアプローチ〉をどのように「総合化」するのか、「総合化」の「方法論」についての説明は管見の限り見当たらない。今から20年以上も前の記述であるが、その後「環境学」はこうした「方法論」を確固としたのだろうか。私の考えは、むしろ冒頭にいう「環境研究はあっても環境学はない」との発想にいまだ傾いていく。私は環境法という法学の一領域を専門とするが、これまでに「環境学」の研究者と自己認識したことは一度もない。
結局、私は、「環境学入門」の前半を、写真(スライド)にあるような問いを学生に対して投げかけ、答えを示さないまま締めくくることとした。おそらく、私以外の環境学研究科の教員であれば、これらの問いに何らの躊躇いもなく明解な答えを示してくれるのだろう。反面、私はこれらの問いに対する適切な回答をいまだに持ち合わせておらず、環境学研究科所属教員としての適格性は一層怪しいものとなる。
なお、2024年度の「環境学入門」は、私に代わり新任の教員によって担当される予定である(ただしこれは、専攻間のローテーションによるものである)。
(あかぶち よしひろ)

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