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このコーナーでは、環境学研究科の教員や修了生がそれぞれの関心や出来事について広く語りかけます。

見えない「気候正義」

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社会環境学専攻環境法政論講座 2019年度博士後期課程修了
気候ネットワーク(プログラム・コーディネーター)
ギャッチ・エバン(Evan Gach)

私は数十年前の学部生時代から、環境問題を科学的な問題としてだけでなく、社会的な問題として捉え、分析し、解決することに関心を持ってきました。私の母国である米国では、環境問題を「誰が影響を受けるか」という観点から検討し、社会的影響を最小限に抑える解決策を講じることを「環境正義」と呼ぶことがよくあります。私は大学院で、環境正義が気候変動にどのように適用されるのか、いわゆる 「気候正義」について研究してきました。
博士課程の研究の一つの部分は、国際交渉や世界の気候政策の文脈で「気候正義」と言うとき、具体的にどのような問題を意味するのかを検証することでした。このアプローチは、その後の気候ネットワークでの私の活動においても大きな役割を果たし続けています。就職の面接を受けたとき、気候正義に関する研究を説明したところ、「他のいくつかの団体ほど気候正義活動に集中していない団体[気候ネットワーク]で、どのような仕事をしたいのか」と聞かれました。私の回答は、気候変動に関わる仕事では、たとえそれが団体のメッセージングの中心でなくても、さまざまな人々がどのような影響を受けるか、コストと利益がどのように配分されるかについて考える必要がある、というものでした。気候変動の影響と同様に、気候正義の課題は、国や地域、社会的構造、経済状況に関係なく、どこにでも存在します。ただ、目に見えにくいだけで、何も考えず、何を探せばいいのかわからなければ、うっかり無視しがちなものです。
この「見えない気候の正義」は、日本も含め、あらゆるところに存在します。制度的人種差別の問題に抱え続ける米国、干ばつに脆弱な途上国、国土が消滅してしまう可能性が極めて高いツバル、バヌアツ、モルディブ等の島国では、気候正義の問題を捉えやすいのですが、日本の文脈で気候正義を想像するのは多くの人にとってより難しいのです。
気づかれにくい日本国内における気候正義に対する課題について、地域、コミュニティ、人々の視点から例を挙げます。
気候変動により風や暴風雨、豪雨の頻度や強度が高くなると、特に沿岸地域の人々に不釣り合いな影響を与え、身の安全や経済的な安全が脅かされることになります。同様に、農業、漁業、観光業に経済を依存する地域は、気候変動が作物や魚介類の収穫量、地域の自然や歴史的施設に影響を与えるため、大都市よりもはるかに大きな課題に直面することになります。また、高齢者、子ども、障害者などは、他の人々に比べて熱中症のリスクが高いため、熱中症のような一見単純な問題でさえも、気候正義の問題なのです。
また、日本の気候変動への取り組みや関連する政策に関しても、気候正義の問題が存在します。CO2排出の最大原因である石炭火力発電の廃止が世界で進む中、横須賀と神戸では、反対する地元の市民が石炭火力発電所の新設を阻止するための裁判を展開中です。一方、日本が目指す脱炭素社会を実現するために必要な化石燃料からの脱却は、再生可能エネルギーへの「公正な移行」を伴うものでなければならず、化石燃料に携わる労働者やコミュニティ、地域がエネルギー転換によって負の影響を受けることがないことを保証する必要があります。
さらに、世界第5位の温室効果ガス排出国である日本は、国際的な気候正義の問題にも関わっています。石炭火力発電は日本の最大のCO2排出源であり、石炭とアンモニアの混焼により日本の石炭発電所を今後何年も延命させるという現在の計画は、日本という国が、世界が目の当たりにしている気候変動の影響の主な原因であり続けることを確実にするでしょう。
「気候正義」は、遠いところや自分たちとは異なる社会の問題ではありません。気候正義は、気候変動対策に取り組む際に、どの国や社会でも考慮されるべき考え方であり、すべての人々にとってより安全で、より公平で、より豊かな社会を実現するためのアプローチです。
(ギャッチ・エバン(Evan Gach))

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