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広報誌「KWAN(環)」の発刊にあたって
西のかた陽関をいずれば
黄砂の源を訪ねて-その1
専門知識と素人
転任にあたって
官僚とダイオキシン
総合的な学習で町づくり
事務部の窓
創設から2年目を迎えて

名古屋大学大学院
環境学研究科へ

 

専門知識と素人
西澤泰彦(都市環境学専攻)

 環境学研究科を立ち上げる議論が本格化した2000年の春、私は、当時所属していた工学研究科建築学専攻の教務関係の担当をしていた関係から、環境学研究科のカリキュラムなどを話し合う教育サブ・ワーキングに顔を出すこととなった。カリキュラムの議論を煮詰めていく過程で話題にのぼったのが、環境学研究科としてどのような人材を輩出するかということだった。理学、工学など既存の種類の学位取得者なら、それに応じた職業も推察可能で、研究者、技術者、教員、公務員、という具合に輩出する人材も予想できる。しかし、新たにつくる環境学という学位の取得者がどのような職業に就けるのだろうか、という疑問をその場にいた方々は皆、同じように持ってしまった。「環境政策、環境行政を変えるために官庁に人材を送り込もう」という主張もあり、それも重要であることは誰しもが認めた。
 そのとき、私は「専門知識を持った素人」という提案をしてみた。この理由は二つあった。ひとつは、大学院での専門が職業と結び付くという従来の発想を打破したいということ。もうひとつは、職業とは無縁にボランティアなどで市民活動に参加する人が増えていることに大学も対応すべきであると私は考えたからである。市民参加型の社会システムがあちこちで試みられている現在、従来のように専門知識を披露するだけで何も判断しない「専門家」に頼ることなく、市民自身が自ら判断することの重要性が増しているのは間違いに無く、そのためには市民自らが専門知識を持つことが重要になると思ったからである。そして、この直後、私は、専門知識を持った素人の偉大さに接することとなった。
 私は、まったく同じ時期に、愛知県が取り壊そうとしていた愛知県立旭丘高校の校舎再生運動に取り組んだ。従来の建物保存運動ではなく、建設廃材の抑制を主とする環境問題やスクラップ・アンド・ビルドの社会システムの打破、文化遺産をまちづくりの資産として生かすこと、校舎再生による工事費軽減という複数の視点を提示し、賛同者を募って市民団体を立ち上げた。署名活動やビラ配り、愛知県知事や関係部局担当者との意見交換、愛知県議会への働きかけ、といったありふれた活動のみならず、再生案の提示、シンポジウムの開催、耐震診断費用の寄附、取り壊し禁止の仮処分申請、文部省や文化庁、国会への働きかけ、そして、取り壊し寸前の校舎近くでの座り込み、という具合に、多様な運動を展開した。結果として、校舎は取り壊されたが、実質的には10ヶ月続いた運動の中で感じたことの一つは、このような運動は、専門知識を持った素人によって支えられる、ということだった。
 私は、運動を始めた時から、運動の広がりを考えて、先に示した複数の視点のみならず、建物としての校舎のすばらしさをわかり易く語る努力をしてみた。その結果、運動のそれぞれの局面で多大な活動をしてくれた方々の多くが、それを理解し、かつ、口コミで他の人々に語る場面に出くわした。その知識は正確であり、かつ、わかり易い説明であった。それは、私の口から発せられた言葉をそのまま受け入れて、他者に伝えているのではなく、それぞれの方々が、私の説明を理解し、自分のものとして身に付けた知識であり、校舎を再生させてみたいという意思の賜物であった。
 これが、運動の終盤に至って大きく影響した。取り壊し工事決行の情報を得た私は、この運動に主体的に参加していた仲間とともに、工事阻止と愛知県教育委員会との話し合いを求めて、旭丘高校正門前の路上での座り込みを決意した。「旭丘高校校舎を登録文化財にしよう」という幟を用意して、座り込んでみると、驚いたことに、一緒に座ってくれた近所の人、近所の住宅では玄関先にその幟を立てて支援を表明してくれた人、という具合に支援してくれる方々が現れた。そして、彼らや彼女らは、報道関係者の取材に気軽に応じて、記者たちに専門家と同じ口調で、校舎のすばらしさや校舎再生の意義を語ったのであった。この光景に出くわした私は、専門知識を持つ素人の重要性を改めて認識した。彼ら彼女らは、私の受け売りではなく、自らの判断で、校舎の再生を考えているのであるからこそ、自信を持って行動を起こし、自らの言葉で校舎再生の必要性を語り始めたのだった。
 結局、2000年の年末に校舎の取り壊し工事が始まり、翌春、校舎は地上から消えた。しかし、私は、専門知識を持った素人の偉大さを感じ取ることができた。偶然とはいえ、環境学研究科の設立とこの校舎再生運動が重なったことは、私にとっては意義深くもあり、楽しい経験であった。
 その経験を持って、今、私は併任という形態で、内閣府に務めている。素人を愚民とみなす官尊民卑の権化のような霞ヶ関に居ると、「霞ヶ関の常識は世間の非常識」を強く感じるが、それならばいっそ、「霞ヶ関の常識」という非常識に風穴を開けることに、今までの経験を生かしてみようと思う。幸い、私の所属するグループには、炭鉱で発破経験のある度胸のある方もいるから心強い。この成果は、また、機会あれば、披露したい。もちろん、各地で頻発している建物の保存再生運動の成果もお伝えしたい。

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