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黄砂の源を訪ねて−その1

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写真3: 大砂丘にて

 2月21日15時00分、ホータン着。15時30分、昼食後、ホータン市内を見学する。まず、絨毯工場。若いウィグル族の女性が絨毯を編んでいる。若いウィグル族の女性は漢民族よりも派手で、スカートをはいている。スカーフもカラフルである。作業風景を撮影する。街角でビデオをとっていると、子供達が群がってくる。
 ホータンの街は砂塵が漂って、どろんとくもっている。タクラマカン砂漠の南縁にあり、砂塵がとにかくすごい。そして、多くのウィグル族の人々が住んでいるのは驚きだ。人口は10万人くらいであろうか。
 写真3はシーラの大砂丘である。大砂丘の比高は30m。この砂丘はもっとも規模が大きく、タクラマカン砂漠に来たという実感がある。気候学的研究によると、タクラマカン砂漠には2つの大きな風系があり、このあたりで収束し、巨大な砂丘を形成する。


写真4:シーラ地区政府招待所食堂での昼食

 13時30、迎えのジープがきた。このあと、シーラ政府招待所でこの地方の政府の代表者と昼食会があった。写真4の中央は吉野教授、その左がシーラ地区政府代表者、左端がアメリカ大使館のオナート氏、右端はアメリカ科学アカデミー北京事務所のオルソン氏である。肉料理がメーンディッシュである。特に、シシカバブーはこうばしくて、うまい。
 昼食の時、オルソン氏、オナート氏と中国での調査について話をした。オルソン氏は考古学と文化人類学が専門で、タクラマカン砂漠における過去の水路網を調べているという。衛星のLANDSATやSPOTを用いて、タクラマカン砂漠を見ると、砂塵嵐の影響で地面はよく見えないという。私がその砂塵嵐を研究していると話をしたら、おもしろそうに聞いていた。



写真5: ホータン気象台

 2月22日10時30分。ホータン気象台を見学する。観測項目は地温(地表面、地下5,10,15,20,40,80,160,320cm)、風、気温、湿度、降水量、蒸発散、凍土である。写真5に示すように、観測圃場にはおなじみの百葉箱などがある。1950年代のソ連製の測器が使用されている。小型のパソコンで地上気象とラジオゾンデのデータ整理を行っている。天気予報の確率は、70〜80%だそうである。1日8回観測し、原資料はここに保管される。毎日のデータより月平均値を出し、ウルムチの気象台に送る。農業気象に関しては、作物の生長状況の監視が中心である。強風などが予想されるときは、その予報をテレビ・ラジオに流す。
 中国全土に同様の気象台があり、同じ規格で観測された大量のデータがある。この調査では、どのような気象要素がどのくらいの頻度で観測されているかを調べ、対象地域の気象資料を収集することが大きな目的の一つであった。



写真6:ウィグル族の民族舞踊

 2月22日、夜の9時過ぎ、ウィグル族の民族舞踊を見学。合同調査隊のため、特別に企画されたものである。カラフルな民族衣装を身にまとったウィグル族の女性が舞台にあらわれる。オーケストラもある。女性の舞がこんなにも美しいものかと感動した。音楽もリズム感があっていい。ただ驚き。これまでの疲れがとれたような気がする。特にメインダンスをした女性は、気品があって、とてもよい。この人たちのダンスはきっと、日本や北京でも通用するだろう。

4.あとがき
 調査日程は1991年2月17日−3月3日の2週間である。寒波の通過した2月19日、ウルムチ空港に到着した。最低気温は−27℃であった。これからの調査の厳しさを暗示するかのような寒さであったが、終わってみると、プロペラ機による天山の山越えとタクラマカン砂漠の横断、ウィグル族の民族舞踊、ウルムチのバザールなど心に残る興味深い調査になった。
 10年後の調査の様子は、次回紹介したい。


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