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21世紀東京どまんなかハイテク超省エネ生活[後編]
文明の興亡:環境と資源の視座から(2)
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文明の興亡:環境と資源の視座から(2)
小川克郎

4 日本の森林、その疲弊

 名古屋から高山行きの列車に乗ってみよう。犬山を過ぎると列車は木曽川沿いに飛騨の山間森林帯へと入ってゆく。やがて、森林は線路の間際まで迫ってくる。私達都会人はこの緑の森にすっかり癒された気分になる。列車は日本列島最古のプレカンブリア紀の岩石(飛騨片麻岩:名大博物館長の足立守教授のグループの有名な業績である)の分布する上麻生の駅を過ぎ、飛騨山脈の西縁に沿って突き進む。暫くすると白川口駅に到着する。この駅で降りてジープに乗り換え、車窓右手(東)の山に入ってみよう。すれ違いも難しい一車線の林道を上ってゆくと周りは飛騨山脈の「美しい」森林地帯である。案内をお願いしたY氏がにこやかに手を振っている。ジープを降りてY氏所有の山の中に分け入ろう。Y氏の自宅の裏庭から森に入ろうとして驚く。やたらに倒木があり、それをまたいで進まねばならない。竹までも束になって倒れているではないか。Y氏によると先年の東海豪雨のお土産だという。ここの森は昭和30年代から40年代にかけて植林した人工林(拡大造林)である。すると樹齢は30年から40年であるが、木々は未だヒョロヒョロとしている(写真4)。戦中戦後欠食児童であった私達みたいだなと思いながらY氏の説明を聞きながら倒木を越えて奥へと進む。

写真4
写真4:岐阜県白川町の東海豪雨で倒木した過密林(筆者撮影)

 Y氏の話を要約してみよう。
 日本の植林(杉や桧)は長期的な資源用材の先行投資として国により大規模に行われたものである。無論、地球温暖化対策ではない。当時、植林する本数に比例して報酬が支払われたという。面積当りの報酬ではなかったので、非常に過密な植林であった。この頃の林業は植林業であったとY氏は苦笑する。しかしこれは必ずしも悪いことではない。木の生育を見ながら何年か毎に弱い木を間引き(間伐)して強い木を育てればいいのである。しかし、昭和40年代中頃になって安価な外国材がドンドン輸入されるようになり、国産材は資源用材としての地位を速やかに失っていった。5図は昭和30年から現在までの我が国の用材自給率の変遷を示している(この図は20世紀後半の日本の経済成長に伴って国の基幹であるエネルギー、食料、用材が如何に危険な状況に追い込まれていったかを示している)。

図5
5図 日本の自給率の変遷 1955-1998

昭和30年には90%を超えていた用材自給率は現在20%を切るに至っている。Y氏によると少しましな杉材の製材所への持ち込み買い取り価格は一本1000円であるが、伐採-搬出には5000−7000円かかるそうである。

写真5
写真5:愛知県稲武町の森林
(写真提供:環境学研究科木平氏)

これでは誰も間伐はしない。こうして生態学的には当然の間伐が行われないまま現在に至った森林は極端な過密林となり、樹齢30年を過ぎた木々が欠食児童さながらにヒョロヒョロしている(写真5)。このような森林は日本の林業を荒廃させるだけではなく、豪雨の時には凶暴な凶器に変身しているのである。先年の東海豪雨では矢作ダムが歩いて渡れるほどの流木で埋まったという(写真6)。

写真6
写真6:東海豪雨で流木で埋まった矢作ダム

風雨で倒木した木に加えて間伐されたが搬出されていない木(林地残材)が流されてきたのである。遠くからは「美しい」緑の森も一歩その中に踏み込めば森林環境はこのように荒廃しつつあるのである。森林破壊が「南」における大きな環境問題だとすれば、このような形での森林荒廃もまた日本においては大きな環境問題なのである。
 ところで、我が国の森林面積は2千5百万ha、国土の約7割を占める。日本は森林国なのである。内訳は自然林59%(1千5百万ha )、人工林41%(1千万ha)である。人工林は前述のように、主に昭和30〜40年代に進められた植林による拡大造林である。昭和44年に30万haであった単年度拡大造林面積は、平成11年では2万haと激減している。また、森林の蓄積量は38億立米で毎年約8000万立米増加(純一次生産量NPP=Net Primary Production)している。

6図
6図 全国並びに愛知県の森林統計

 6図は全国並びに愛知県の森林統計である。愛知県の人工林比率は66%であり、全国平均に較べて著しく高い。驚くことに、木曾山系の南端部に位置する愛知県東部山間地には自然林は殆ど存在していないのである。また、そのほぼ100%が民有地であることも大きな特徴である。無論、人工林の樹種は殆どが針葉樹で広葉樹はまだ育っていない幼年期の森林である。
 一部の愛好家が木工芸品を作ったりしてはいるが、大局的にはこうした森林の用材価値をこれからも余り期待できないであろう。ヒョロヒョロの栄養失調のまま育ってしまった人工林に用材価値を望むことはどだい無理であるからである。しかしこのまま需要と供給の経済原理に則って放置しておけば日本の森林はその生態的環境荒廃の度を極限にまで進めてしまうであろう。一度人間が手を入れてしまった森林は手を抜き自然に任せることは出来ないのである。20世紀後半の市場を舞台に繰り広げられる競争的経済原理に雁字搦めになってしまった日本の政策の失敗をこのまま見過ごすわけには行かないとの思いから私達は市民活動を開始した。次に、そのことを少し語ってみよう。

5 美しい日本の森を取り戻そう/私達の市民活動

 ではどうすれば日本の森林を美しく健康な森に甦らせることが出来るであろうか?環境にとっては犯罪的とも思える競争的経済原理を無視すればいいのだろうか?私達が立ち向かわなければならないのは前述のように1千万haもの気の遠くなるような規模の日本の人工林なのである。それを考えれば、経済原理を無視して出来るものではない事は明らかである。「環境資源」といってみたところで自己満足に過ぎず何も変わらないのではないか。やはり、経済原理の土俵に上がらなければならないのである。では、用材としての経済価値を失ってしまった森林を再び資源化し、同時に環境を再建する道は無いものか?
 日本の森を心配する仲間達が集まり夜遅くまで熱く討論する。そこでは20世紀後半の「ハコモノ」的思考の否定から始まる。

  • 森林の健康な生態環境とはそもそも何か?
  • 環境問題はエネルギー問題である。
  • 電力会社ではなく市民が主役となって発電する時代ではないのか?
    (その頃東京電力の原子力発電所の亀裂隠しが暴露されていた)
  • コペルニクス的発想の転換は文明論的な思考の幅の奥からやって来るだろう。
    ......

 この仲間には廃棄物処理施設の女性社長、緑地工事の社長、新聞記者、県・市・町・村の職員、森林生態学者、環境問題に真剣な一般市民など多様な職にある人々がいる。皆一様に環境問題に貢献したいと思い、手弁当で「5時からワーク」に参加している。各々が自己業績を競う大学とは違う世界がここにはある。
 7図はこのような討論の中から生まれた一つの計画である。私達の仲間の一人である名大環境学研究科の木平氏による原図に筆者が若干手を加えたものである。

図7
図7 木質バイオマス熱電併給システム計画図
(木質バイオマス利用ネットワーク資料)

  この計画の骨子は間伐材を利用した熱電併給システムである。つまり、石油が枯渇してゆく将来を見据えて、過密林の間伐によって生じたバイオマス利用により、森林をエネルギー資源として資源化すると同時に、生態学的に適切な間伐により森林環境を甦らせようとするものである。いわば一石二鳥(環境とエネルギー)のアイデアであるが、更に、将来のエネルギー逼迫を想定して、木を木炭や水素の形でエネルギーとして長期備蓄しておくという計画もこのシステムには含まれている。また、疲弊した林業などの山間地産業の復興・新規雇用創成も念頭に置いている。
 私達の市民活動グループでは愛知県東部山間森林地帯をモデルとして自治体と協力しながら各々分担を決めて実験的研究を行い提案書を作る作業を始めている。ここでいう分担は次の通りである。

上流 森林の実態調査と分析、伐採の生態学的基準、伐採・搬出方式、資源量評価等
中流 熱電併給システム、炭・水素製造方式等
下流 需要者調査・評価、地域行政・住民意向調査並びに参画方式等

 これまでの「ハコモノ」研究と決定的に違うのは上流及び下流に相当の力を注ぐことである。これは市民活動に相応しい研究項目であると考えている。全く予算がなく全て手弁当で動くことになる市民活動の資産は「汗と知恵」である。読者諸氏の中で自分も参加したいという方は大歓迎である(木平氏か筆者に連絡を頂きたい)。

6 森林材の燃焼は環境にとって悪か?

 しばしば、森林材を「燃やす」バイオマス熱電併給は二酸化炭素を排出し環境にとってよいことではないのではないかという質問を受ける。「燃やす」事は何でも悪いという昨今の風潮に沿った質問である。これは誤解である。その理由を簡単に説明しておこう。
 地球上の炭素は次のように循環する。
   A大気→B植生→C土壌(腐植)→A大気
 A→Bは光合成反応による植生生成と植生の呼吸との差であり純一次生産(NPP:前述)と呼ばれる。この過程で大気中の二酸化炭素は植生に固定される。一方、C→AはA→Bの逆反応で土壌中の微生物による有機物分解である。この過程で一旦植生に固定された二酸化炭素は大気中に戻される。自然過程ではこれらの一連の反応は閉鎖系の平衡状態にあり、大気中の二酸化炭素の増減は無い。なお、地球温暖化問題では上の閉鎖系に外部から石油の燃焼などによる二酸化炭素が付加されたり森林が皆伐・燃焼されたりすることにより生じる。
 今、NPPに相当する植生を人為的に燃焼させるのは自然過程におけるC→Aと同じ過程に相当し、大気中の二酸化炭素を増やすことにはならない。しかも、この過程で得るエネルギー相当量の石油を節約できる利点がある。
 また、過密林の間伐により生じる木材の燃焼については森林環境の保全或は国土保全という観点が第一義的である。即ち、健康な森林の維持のために必要な間伐は大量の間伐材を生むが、前述のようにこうした材木を用材として利用するのは極く限られている。もし、現在一部に行われているように地中処分をすれば上記のC→Aの反応と同じ過程を辿ることになる。そうであれば、むしろ燃焼させてエネルギーとして利用するのが得策である。

 次回は国の基幹である食料が我が国の20世紀後半の高度経済成長の陰で尋常ではない状況に立ち至っていることを語るとともに、その正常化には21世紀の地球環境をも視野に入れた文明の転換的発想が必要であることを述べたい。

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