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21世紀東京どまんなかハイテク超省エネ生活[後編]
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21世紀東京どまんなかハイテク超省エネ生活[後編]
平原靖大

 その単身者公団賃貸住宅は、隅田川のほとり、2時間前に僕が渡った永代橋のたもとにあった。10階建てのビルのエレベーターで、Yは4Fのボタンを押して、"Brompton"のロゴの光るレトロな黒い自転車を折り畳みはじめた。盗難に対処するため、ほぼ毎日こうして部屋まで運ぶらしい。公団住宅としてはかなり古い方だろうか、廊下は薄暗く、配管はむき出しだ。Yの部屋は3階にあるが、その前に4階の共同スペースを案内してくれた。コインで動くシャワーと洗濯機、トイレがあるが、「深夜の洗濯・シャワーはご遠慮ください」との手書きの張り紙が効いているのか、人気は全くない。18才で単独上京したときは、風呂つきワンルームマンションが高嶺の花で、銭湯の閉まる時間を気にして生活をしていたことをふと思い出した。ここは4畳一間キッチンつき、シャワー、トイレ共同で4万円。奇しくも僕が最初に住んだアパートの家賃と同じであるが、高いのか安いのか、まだよく判らない。

写真1
[写真1]

写真2
[写真2]

 案内されたYの玄関のドアを開く。と突然、暗がりの中にこういうもの(写真1)がブラブラしているのが目に入る。Yの食物はこの中の乾燥貯蔵野菜のほか、蛋白源も冷蔵を要しない薫製や干物が主とみられる。みのもんたが感心しそうな健康食だ。その脇の流し台には、4階で汲み置きした水と、炊飯用の素焼きの釜(釜飯弁当の容器!)と、携帯用コンロがある(写真2)。写真には写っていないけれど、確かに、水道の蛇口には「東京都水道局」からの、またガス栓には「東京ガス」からの、数年前のお知らせがぶら下がっている(この部屋に繋がる水道管は相当錆びているだろう、、、)。足下に目を移すと、缶の中に冬場に使った練炭の灰と土、その上にバナナの皮が幾房か、時間の経過を物語るように折り重なっている(写真3)。「コーヒーでも淹れよう。」Yはそう云って、携帯用コンロで湯を沸かし始めるのだった。

写真3
[写真3]
写真4
[写真4]

 2畳程度の玄関兼台所で、暗い廊下から漏れ込む光を頼りのドリップ作業に目が慣れてきたところで、奥の部屋へと入る。Yは窓際においてある携帯ランプを点灯させた。冷ややかな、LEDの光!商品名は「ペツル ジプカ」(写真4)、キャンプ用品店で入手できるらしい。単4アルカリ電池3本で一晩はもつ。指向性が強く、影が映るほどに強いので、少なくとも台所での調理作業には問題ない。この部屋のもう一つの照明器具は、(写真5)ブレッド基板に無造作に突き刺されたむき出しの白色高輝度LED(かの日亜化学製)だ。

写真5
[写真5]

エネルギー源はELNA(エルナー)製の電気二重層コンデンサー、電気容量は1ファラド(F)x3。噂に聞いた新型のコンデンサーだが、翌朝までこのLEDを煌々と点灯させるのに充分な超大容量だ。ほどほどに芳醇なコーヒーを頂きながら、Yの沖縄->台湾->香港->上海の3ヶ月間の単独船旅(大半がテント生活)の武勇伝を拝聴した。電池式の携帯メモリーレコーダーからは、どこやらで合法的にダウンロードした(現在は非合法に転化した手法らしいが詳細は知らない)オフコースやアリスのヒットナンバーがひっそりと流れ続けるのであった。

写真6
[写真6]

 翌朝、Yの客用寝袋から抜け出し、屋上にあがる。朝日が眼下の隅田川を眩しく照らすなか、遊覧船が通り過ぎるのが見える。梅雨時にもかかわらず、この爽快な風通しの良さは海洋都市・江戸を実感させるに充分だ。洗濯物の間からYの部屋を見下ろすと、30cm角ほどの太陽電池パネルが4つ、バルコニーに無造作に並んでいるのが見える(写真6)。3階はちょうど中庭になっているので、パネルを何十枚でも並べることが出来そうだが管理人が容認するまい。携帯電話とラジオ、乾電池と大容量コンデンサーの充電なら曇りの日でもこれで充分まかなえる。と、こう云えば格好が良いが、労働シーズン?での職場、オフシーズンでの区立図書館、それから普通に暮らしている友人宅で”電気を分けてもらう”こともたまにはあるらしい。それよりもYは野菜の栽培に興味があって、昨晩みた腐植土をいよいよ今年から鉢植えに移すそうだ。
 この風景をみながら、Yのこの省電力生活、正確には数ボルトで全てを賄う”低電圧生活”は一体何のためかと考えた。Yのフリー・プログラマーとしての年収は、もし年中働き続けたとすればそれは僕のそれを軽く上回るものであって(泣)、今年から青色申告をする予定だというのだから、Yはお金に不自由しているとか、禁治産者だというわけではない。ましてやYが反原発、エコロジストだから、でもない。彼は高校時代からどちらかというと非社会派で、都会的でスマートな生活を好む方である。この生活を続ける理由として、傍目には非効率的な生活体験そのものを得たいがため、以外には見出しがたい。Yは実際、公団としては早晩建て替えか売却かすべきこの住宅を選択し、3年以上の空き室待ちを経て入居を果たしている。日々の試行錯誤を経て獲得されつつあるYのライフスタイルは結果的に見てエコロジカルではあろうが、同時にそれは周囲の大多数が従事することによって維持される都市の利便的機能に依存したParasitic(寄生的)なものである。そしてそのような特徴は、単に日常生活においてのみ当てはまるのではない。
 Yによれば、今のプログラマーとしての仕事の多くは、バブル期に相次いで導入された公共財としてのソフトウエアシステムの維持や更新であって、進歩の速い業界で、今の若手のプログラマーの知らない、一昔前のソフトウエア開発環境に知悉した”古い”人間が現場仕事として従事するものだ。それは、古いソースコードの出力を読み解いて、それを改造していくような泥臭いものであって、一から新しく作り直す予算が無い相手から、直接電話で依頼が来るらしい。花形産業とはほど遠いが、都市の情報管理機能の維持は今後も不可欠の仕事であろう。また、今後熟練ソフトウエア工が逓減することまでYの計算に入っているとするならば、行き当たりばったりの生活実験とは逆の、非常に精密な人生設計であるような気すらしてくる。
 Yと僕は、少し遅めの朝食を摂るべく、このユニークな住居を後にした。コンデンサーで光るLEDがだんだん暗くなることが判り、僕が「LEDに流れる電流を制限するのに抵抗を使うと損ヤから、10〜20mAの定電流ダイオードに交換したらエエと思うけど」と、このときばかりは大学の研究を通して仕入れた豆知識を恭しく伝授し、100円程度のこの素子を手に入れるために、二人で秋葉原まで歩いて行った。Yの実生活を根本で支える、世界に冠たる電気街の片隅で、素っ気ない”ハイテク部品”を手にしたあと、僕はYと別れ、総武線で午後からの会議の場所に向かった。
 僕のおかげでY宅の夜は更に明るくなることだろう。

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