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文明の興亡:環境と資源の視座から(1)
オゾンホール ―南極から眺めた地球の大気環境―
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文明の興亡:環境と資源の視座から(1)
小川克郎

1 プロローグ:カフジ油田1993
 サウジアラビアのダーレンから北へ300km、沙漠の一本道を3時間かけてカフジまで疾走して来た時の昼間の熱暑は何処かに去ってしまい、今は心地よい夜風に慰撫されて海岸に座った私達の目の前には、アラビアの海の白波が静かに打ち寄せている。この瞬間も、この遥か沖合の世界最大規模の海上油田施設では地下からの油の生産が続けられているのだ。何ケ月か前、ここで地下から上がってきた油は、今この瞬間、遠く離れた日本で電力をつくり、車を動かしているのだ。
 「先生、地球環境を考えるともう石油ビジネスは駄目なのでしょうかね?」
 「地球環境を劣化させない努力を惜しんではならないことは言うまでもないけれど、善し悪しは別として、石油に全面的に依存してきた20世紀高度工業化社会に生きている私達は、現在もそして将来も、石油に頼って生きてゆくしかない、ということは自明のことではないのかな?」
 「皆そう考えてくれればいいのですが...」
 「資源確保と環境保護というとても困難な課題の解決が我々の世代の宿命のようなものではないだろうか?」
 「そうですね。だけど、環境派はいいなあ、楽だなあ、格好良いなあ...」
 「君達資源派も頑張らなくっちゃ!」
 ............
 中東で激しい戦火があった2年後、1993年3月のことである。この中東の戦火ではここカフジの町が戦場の一部となった。イラクの急襲を逃れてこの中立地帯に逃げ込んできたクエート人を狙って打ち込まれたロケット弾に石油タンクが被弾した。また、彼等はクウェートの油井火災の黒煙が空を覆い(油井火災は"Bringing back the Sun"と呼ばれる国際共同プロジェクトによって1991年秋には鎮火した)、流出した原油が美しいカフジの海を汚したことを語った。「地球環境問題」では石油は悪の元凶と目されているのだから石油開発に携わっている人々がこの問題には関心が深いのは当然である。この問題がマスコミを賑わすようになってから石油開発会社への就職を希望する学生が少なくなっていると彼等は言う。彼等の多くはかって私が東大で教えた学生である。この厳格な禁酒国では久しぶりの再会をビールで祝うこともままならない。公私様々な困難の中で異教の異境の地で石油の開発に心血を注いでいる若いエンジニア達がこんな風に感じるような雰囲気があるとすれば大変残念との思いから「地球環境を...」の言葉を私は発した。

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サウジアラビアからはこのゲートをくぐってカフジのある中立地帯へ入る

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アブダビ港沖合の小規模石油


2 イースター島の興亡:現代文明への警鐘
 南太平洋の孤立火山であるイースター島は巨大な石像(モアイ像)で有名である。1722年オランダ人がこの島を発見した時、島中に散らばる無数のモアイ像に仰天してその建設方法を島民に尋ねると、自分たちが作ったのはモアイを立たせる祭壇だけでモアイ自身がそこに歩いて行き、立ちどまったのだと真面目な顔で答えたという。この時代既にモアイ文明は忘却されていたのである。
 近年環境問題が浮上して以来この島が人間と環境との相互関係を典型的に示す例としても有名になった。Clive Pontingはその著書"A Green History of the World"(1991)の最初の章をこの島に充てている。最近の成果(例えばJ.R.Flenley) を総合するとイースター島の歴史は次のようである。

西暦
事項
島の植生(花粉分析による)
5世紀以前 入植前 森100%(山頂の灌木林を除く)
5世紀頃 ポリネシア人入植(数十名)  
7世紀 農地開墾・初期モアイ像 森伐採の開始
10世紀〜 人口急増(>1万人?)
部族間抗争・モアイ像急増
大規模森伐採進捗
17世紀 モアイ文明突然の滅亡と忘却 全島で森絶滅
18世紀(1722) オランダ人による発見  

 耕地に転換された森は急速に高地に追いやられ17世紀頃には全てが姿を消していた。森の木材は住居、燃料、モアイ像建築用材、漁業用丸木舟など多様に使われていた。オランダ人が発見した時は既に島に木材は無く島民は洞窟に移り住み、燃料に事欠き、丸木舟もないので漁業もできず、また耕地も塩害や土壌流出で荒れ果てていて日々の食糧にも事欠く極貧の生活をしていたという。遂には部族間で食い合いをした証拠のある食人洞穴までもが残っている。まさしくモアイ文明は森の消滅とともに終焉を迎えていた。部族間闘争に明け暮れ、また厚い信仰心に支えられてモアイ像建造に狂奔していた彼等は森が無くなったら自分たちは生きてゆけないことに気づかなかったのだろうか?恐らく居たに違いない若干の賢者は気づいていたのだろう。しかし、闘争と信仰という赤裸々な競争的現実の前では全く無力であったに違いない。
 確かに、イースター島は絶海の小さな閉ざされた島に過ぎない。しかし、地球も、スケールこそ違え、宇宙に浮かぶ孤立した島のようなものである。今、地球上では森林が大規模に伐採され、その数億年の営みの中でゆっくりと育まれてきた石油という「地球の宝石」を、それに比べれば一瞬に過ぎない現代文明は足早に食い尽くしかけている。イースター島の森とモアイ像を現代の森林と石油、巨大ビルと車に当てはめて考えてみたらどうであろうか。私達はモアイの人たちを未開人と言って笑うことができるであろうか? 私達は巨大ビルに住み車を運転する未開人ではないのか? 私達もモアイの人々が現実の前に立ち尽くしたように、経済発展という赤裸々な競争的現実の前に立ち尽くしていていいのだろうか?
 次章以降では私達がモアイの人々以上の未開人であることの証拠を指摘してゆこう。

写真3:モアイ像
写真3:モアイ像

1図:油層の地質時代
1図:油層の地質時代

3 石油文明の危うさ:「一瞬の文明」
 地球科学は地球とその46億年の歴史を研究する学問である。一方で、環境問題、資源エネルギー問題、地震・火山・台風等自然災害といった極めて短期的な問題も地球科学の所掌する問題である。つまり数十億年から数時間の多様な時間帯を学問の対象としているのである。学問のこの性質から、地球科学者は短い時間帯の事象をも長い時間帯の中で理解する習慣を持っている。
 このような視点から資源エネルギー、とりわけ現代文明の基礎をなす石油(天然ガスを含む)について眺めてみよう。
 石油の起源には諸説あるが最も広く信じられているのは有機物起源説である。即ち、堆積作用に伴い地中深くに埋積して行った樹木等の朽ちた有機物が地熱の熱作用で分解し石油になったという説である。1図は石油の胚胎する地層時代を示す。生命自体は今から6億年ほど前のカンブリア紀に爆発的に増えるが、石油の生成は2億年ほど前のジュラ紀以降の地層が大半である。
 しかし、それ以前の時代でも石油は大量に生成されたが、液体や気体は地殻変動によって保存が難しく現在では残存していないという考え方も有力である。

2図:世界の石油生産量予測
2図:世界の石油生産量予測

 では、この地球では一体どのくらいの石油が採取可能(究極可採埋蔵量という)であろうか?
 アメリカ合衆国地質調査所(USGS)がこの評価を担当しているが実を言うと未だ正確には分かっていない。同所は伝統的に2〜3兆バレルという数字を用いてきたが、最近ではその下方に近い数字を使っている。バレルという単位はイメージが掴みにくいのでkmで考えてみる。答えは2兆バレルが約300立方km。例えば、10平方kmの底面積を持つ高さ3000mの箱をイメージすればよい。名古屋市でイメージすれば東西長は名古屋駅―星ケ丘、南北長は名古屋城―名古屋港の底面積と3000mの高さを持つ巨大な油タンクである。全世界の石油の究極可採埋蔵量はたったこれだけである!

図3: 日本の一次エネルギ−消費の推移
図3: 日本の一次エネルギ−消費の推移

 石油生産予測に関わる「ヒルバート曲線」と呼ばれる有名なモデルがある。これは究極可採埋蔵量の半分を使い切った時が石油生産のピークであるという説である。この説は当初信用されなかったが米国内の生産を見事に予測したことによって一躍有名になった。これまでは石油生産のピークは2015年頃と予測されていたが、2000年4月米国エネルギー省はこのモデルに基づき2004年であると予測して世界に衝撃を与えた(2図)。2004年には先程のタンクの半分が空になるわけである。石油が使われ始めて未だ一世紀足らず。とりわけ本格化した20世紀後半の半世紀で(3図)数億年かけて形成された石油の半分が無くなってしまった! これは地球史的観点からはひどく異常なことだと言わざるを得ない。森をドンドン伐採して自滅していったイースター島の人々を私達は笑えるであろうか?
 ここで少し時間軸を拡大して石油文明を観てみよう。

4図:化石燃料の時代
4図:化石燃料の時代

 氷河期の終わりとともに始まった新石器時代(約1万年前)、農耕という食糧生産方法を発明した人類はやがて最初の都市国家シュメールを始め世界各地で多くの都市文明を編み出しながら急激に人口を増やしてゆく。やがて石炭をエネルギーとする産業革命を経て20世紀石油文明を展開してゆく。この一万年に将来の一万年を足した超長期的な時間軸の中で石油文明を描いてみよう(4図)。
 4図は石油文明が地球史的に観て一瞬に過ぎないことを明確に物語っている。しかも石油時代の終焉は間近に迫っていると言って過言ではない。このように少々長い時間スケールで世界を観る事の大切さは理解していただけるであろう。
 それでは、何故石油がこれほどまでに有用なものなのか? 石炭を念頭に置いて考えてみよう。
 まず、第一に液体あるいは気体であることの大きな利点である。自噴という安価な生産方式は優れているし(坑夫が鶴嘴で掻き出す石炭を思い浮かべよう)、またその後の利用面での便利さは計り知れない。第二はそれ自体の有するエネルギーの大きさである。第三は有害化学成分の(相対的な)少なさである。第四にエネルギーだけではなく化学製品の原材料としての極めて広い用途を持つ。
 このように石油は代替の難しいスーパーマンのような地下資源なのである。無論、現代石油文明はこのような石油の長所を存分に駆使して成り立っている。
次章以下ではエネルギーを環境の側面から観てみよう。

文献
Ponting, C. A Green History of the World. A Penguin Book, 1991.
Flemley, J.R. Further Evidence of Vegetation Change on Easter Island. South Pacific Study, Vol.16, No.2,135-141, 1996

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