環境学研究科
Graduate School of Environmental Studies

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  環境学と私
このコーナーでは、環境学研究科の教員がそれぞれの関心や出来事について広く語りかけます。

 想い出の「ウッズホール」をふたたび

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地球環境科学専攻 物質循環科学講座
角皆 潤 教授
は米国東海岸、ボストン近郊のウッズホールという小さな港町で、1970年代の一年間を過ごした。海洋研究の一大拠点となっていたこの町は、当時世界中から集う海洋研究者で活気に溢れていた。また町全体を挙げて研究活動を強力に応援していた。その高揚感を小学校低学年で体験してしまった私は、何の疑問を持つことも無く海洋学の研究者を志した。全米でも屈指のリゾート地となっているこの町の美しい風景が、私の決意を後押しした。
かし実際に日本で海洋学を志すと、現実は厳しかった。大学院進学と前後して「重点化」なる大学改革が始まり、若手向けポストは次々消えていった。自身はかろうじて大学教員の職に就けたものの、未だにそれに縁が無い同期もいる。さらに教員になった頃から社会は長い不況に入ってしまい、今度は学生の就職口に頭を悩ますことになった。
究の方も苦難の連続だった。計画した観測を実現するべく予算を申請してみるものの、当初はことごとく不採択。ようやく採択された頃には、すっかり時代遅れになっていた。船に乗るのも大変で、まず乗るまでは申請書類とメールの山。名前と所属だけで30回は記入する。前例のない機材の使用を企画しようものなら、書類の数が倍増する。次に機材の船への搬入。船のクレーンはめったに使わせてもらえず、炎天下でも、大雨降っていても、重くても、手で持てるものは研究者が自分の腕力で搬入する。出港すると船酔いと闘い、観測点に着いたら昼夜を問わず自ら試料採取。ヘルメットを忘れて甲板に出ると船員に怒鳴られ、食事に遅れるとウェイターに叱られる。大学に帰ってきてもまずは事務処理、そして溜まったメールへの対応。返信を終えるのに一週間はかかる。今日も私の給与の削減で落ち込む家内をなだめ、書類が不備との事務からのお叱りの電話に平謝りし、減りゆく校費の対応策を協議する不毛な教員会議に顔を出すといった毎日で、ふと愚痴る。これのどこが憧れていた海洋学なのかと。
んなある日、海外の学術誌に投稿した論文が査読結果とともに戻ってきた。珍しくお褒めの言葉が並び、待ちに待った成果だと言ってくれた査読者がいた。すると不思議なことに、次の研究のやる気が沸々と湧いてきた。置かれている環境が厳しいのは相変わらずなのに。
もそも私の置かれた現況は、憧れの「ウッズホール」とどこがそんなに違うのだろうか?当時の米国より、現在の日本の方が利用できる観測船は多いはず。予算も総額では遜色ない。最も大きな違いは、「雰囲気」だと気づいた。つまり私の現況に不足していたのは、自分の研究を応援してくるような「雰囲気」だ。これさえあれば誇りを持って研究に臨めるのに、先の査読者のコメント以外は、すべて真逆のものばかりだった。
れは海洋学に限った話では無い。たとえ他の条件は一緒でも、「雰囲気」の違いが全く異なる結果を生む事例を、私たちは数多く見てきたはずだ。ならば、悪い点を捜して罵倒し合っていてはダメだろう。むしろ良い点を見つけて褒め延ばしていく。そんな些細なことの積み重ねで「雰囲気」を好転させ、研究でも教育でも、そして社会の在り方でも、いろんなものが好転出来るのではないかと、夢想している。想い出の中の「ウッズホール」の雰囲気を良き手本として。
(つのがい うるむ)
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