環境学研究科
Graduate School of Environmental Studies

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  環境学と私
このコーナーでは、環境学研究科の教員がそれぞれの関心や出来事について広く語りかけます。

 漱石の環境問題

顔写真
社会環境学専攻地理学講座
岡本耕平 教授
(人文地理学)
写真
牧野 義雄
「ピカデリー・サーカスの夜景」
1906/07年、豊田市美術館蔵
http://www.museum.toyota.aichi.jp
/collection/000262.html
きり
なる市に動くや影法師
れは、明治35(1902)年冬、夏目漱石がロンドン留学からの帰国直前に親友正岡子規の訃報を受け取り詠んだ俳句です。昨年、大学1年生向けの授業「俳句で地理学を学ぶ」で取り上げました。学生には「なぜ霧が黄なのか?」と問いました。
の句の解釈は、「ロンドンの濃霧の中に動くさだかならぬ人影をとらえて、その中に彷彿と故人の幻影を描き出している・・・陰鬱なロンドンの晩秋、十数年来の知友を失った孤独な悲しみがよく表れている。」(山本健吉『現代俳句』)といったのが一般的で、「黄」に着目した解釈はあまり見かけません。もしかしたら、「黄昏たそがれ」や「黄泉よみの国」に結びつけた解釈も可能かもしれませんが。
は、初めてこの句を知ったとき、この句の「霧」はスモッグで、だから漱石には黄色く感じられたのだと思いました。当時のロンドンは世界最大の都市で、工場や家庭で石炭を燃やした煙が数十万本もの煙突から排出されていました。1873年にスモッグのために人々が方向を見失ってテームズ川に入り込んでしまったとか、1879年にはひと冬で約3千人の市民が肺の疾患で亡くなったといった記録があります(マクニール『20世紀環境史』)。漱石自身も、日記に「倫敦ロンドンの町にて霧ある日、太陽を見よ。黒赤くして血の如し。」「倫敦の町を散歩して試みに淡を吐きてみよ。真黒なるかたまりの出るに驚くべし。何百万の市民は此の煤煙ばいえんと此の塵埃じんあいを吸収して毎日彼等の肺臓はいぞうを染めつつあるなり。」と記しています。スモッグという言葉は、スモーク(煙)とフォッグ (霧)との合成語で、1905年にロンドンで使われ始めました。
ころが、同じ時期にロンドンに滞在していた愛知県豊田市出身の画家・牧野義雄は、ロンドンの霧を愛し、霧につつまれたロンドンの風景を好んで描きました。牧野は「霧の色とそれがもたらす効果はじつに素晴らしい。霧のないロンドンは花嫁衣装を付けない花嫁のようなものだ」と述べています。20世紀冒頭という同じ時期にロンドンに滞在していた2人の日本人、夏目漱石と牧野義雄。ロンドンの大気についてのとらえ方は、全く違っていたようです。
(おかも とこうへい)
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