環境学研究科
Graduate School of Environmental Studies

Home > 環境学と私

  環境学と私
このコーナーでは、環境学研究科の教員がそれぞれの関心や出来事について広く語りかけます。

 災害と災害研究

社会環境学専攻 社会学講座
田中 重好 教授
写真
宮古市田老町
また一つ津波の慰霊塔が新しく加わってしまった
は、ちょうど環境学研究科が発足した2001年4月に名古屋大学に赴任した。専門は社会学であるが、環境社会学会には入っていない。しかし、これまで、雪国生活や雪処理、1983年の日本海中部地震以来の災害、河川と流域住民との関係の調査など、広い意味での「環境」研究と無縁ではなかった。2004年末にインドネシアのスマトラ島沖でM9.2の巨大地震が発生し、年明け早々、当時の地震火山研究センター長の安藤雅孝教授を中心に、文理融合型の当研究科としてスマトラ地震に調査団を出すべきだという話が持ち上がり、文科系からもだれか参加しないかという呼びかけがあり、早速、それに賛同して2005年2月初めに学年末試験を終えて、スマトラ島の北端バンダアチェに向かった。それ以降、現在まで、調査団の編成は少しずつ変化しながら、現在でも名大の調査が続いている。その成果は共同で、『超巨大地震がやってきた』(時事通信社)や調査報告書(http://www.geog.lit.nagoya-u.ac.jp/makoto/sumatra.html)として公刊してきた。インドネシア語でも、『巨大津波を生き抜いた人々』という題名の津波体験集をJICAの協力を得て現地で出版した。5年を区切りとして、この災害復興調査は完了するものと考えていた矢先、3.11が発生し、今度は東日本大震災の調査に切り替わって災害調査を継続している。
マトラ地震を見てきた者にとって、なによりも悔しい思いをしているのは、日本でもスマトラ地震津波のような被害が発生してしまったことである。インドネシアで調査している工学系の研究者は「先進的な津波防災の成果をインドネシアに教えてあげる」というスタンスをもっている中でも、われわれは「このような犠牲者をださないためにもインドネシアから我々は学ぶ必要がある」と常々考えてきた。だが、そうしたことを日本にうまく伝えられなかった。結局、地震学をはじめとする自然科学の研究がすすめられ、堤防や高度な情報伝達システムが整備されたにもかかわらず、大量の犠牲者を出してしまった。そのことを謙虚に反省する必要がある。
うした現実の災害から何を学ぶべきなのか、一つ一つ丁寧に考えながら研究をし、その成果を社会に還元してかなければならないと思う。
(たなか しげよし)
 本教員のプロフィール