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環未境来学の予測    史上最悪の津波災害と言われたスマトラ島沖地震から20年が経とうとしている。最大被災地のバンダアチェでは、国際社会から途轍もなく大きな支援がもたらされ、大量の復興住宅がつくられた。それは、被災者の帰還と家族の再生を促しただけでなく、安価な貸家として、復興景気に惹かれた移住労働者の受け皿になった。災害からの復興と武力紛争からのそれとが時期的に重なり、アチェ統治法下で特別会計が設けられ、産業振興やインフラ整備、新しい住宅開発も進められた。地域人口は10年後には津波前の水準に戻り、増加を続けている。復興事業やその後の都市開発の中で災害への備えが俎上に載らなかったわけではないが、津波緩衝地帯や集落移転の計画はうまくいかず、日本の援助によってつくられた津波避難ビルもほとんど使われていない。防潮堤はついぞつくられなかった。最近は、沿岸低地部のあちこちで新興住宅地が増殖している。住民は物質的に豊かになったが、格差は拡大し、防災のことは重要な関心事になっていない。こうして、バンダアチェの経験は、災害からの旺盛な回復力とともに、巨大災害後に脆弱性が再生産される道筋を示している。インドネシアでは、スマトラ島沖地震の被災経験から、災害対応にかかわる基本法がつくられ、国と地方の政府に専門機関が設置された。警報システムの運用やハザードマップの整備、コミュニティ防災の仕組みづくりも始められた。それにもかかわらず、100名以上の死者を出した地震災害はスマトラ島沖地震以降10回を数える。その中にはマグニチュードが驚くほど小さいものもあり、明らかに社会のほうに問題がある。学問が発展すると、地震や津波のメカニズムに関する理解は深まるが、それ自体の性質は変わらない。しかし、自然との付き合い方はそれとは異なる。学問の発展は、良くも悪くも、社会それ自体を大きく変える可能性がある。わたしたちは、そのことを被災地の長期的な観察を通して問いたいと考えている。翻って、東日本大震災後の復興計画では、科学研究の最新成果が取り入れられ、地域社会は被災前よりも良くなるはずであった。防潮堤がつくり直され、集落移転や土地の嵩上げによって、見かけ上は津波に対して安全になった。しかし大方の沿岸地域では、この十余年間に津波災害の犠牲者よりも多くの人びとが転出し、社会の活力はなくなってしまった。少なくとも、わたしたちの現地調査から推察するに、おそらく好転の見込みはないと、言わざるをえない。高橋 誠専門は地理学。環境学研究科の調査団の一員としてバンダアチェに入り、いまでも現地調査を続けている。最近は、防災リテラシーというテーマについても考えている。10バンダアチェのその後社会環境学専攻 環境政策論講座 高橋 誠 教授

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