りするんです。は「シェア」。シェアハウスやシェアオフィス、公共施設の複合化などですが、全く新しいことではありません。建築や都市はもともと複雑に混じり合ったものですが、近代以降、それを、それぞれに合わせて別々につくってきました。しかし、人口も減り社会が変わる中でその方法の不都合も起きてきたので、これまでとは逆に混ぜる、シェアしてはどうかと。私が助言している松阪市の中学校の改築プロジェクトは、廃校ではなくて公民館と一緒に改築するものです。それは財政的な理由や私のような有識者がそうさせたのではなく、一緒になったら新しいことが始まるんじゃないかって思える人が何人かいたから動いたんです。これまでになかった動きが、新しい発想を原動力にして松阪に限らず各地で起き始めています。その今、建築で盛り上がっているの時いつも、人の心と体を動かすものって何だろうかって思うんです。建築や都市は、法律や制度、そして経済で動いていく側面もありますが、それとは全然違うベクトルで動いていくものがあります。この新しいベクトルで動く人たちが、これからの都市が必要とする場所をつくっていく。制度はそれを後追いするのでしょう。自分たちで新しいことを始めていく人たちのモチベーションがどこにあるのか。これから丁寧に見て、考えていきたいです。そして、私たち研究者は何ができるのかも。仕事でかかわっている愛知県東栄町の話を思い出しました。空き店舗を若者3人がクラウドファンディングで資金を集め、1階はおむすび屋、2階は宿屋を始めようとチャレンジしています。たまり場をつくるっていうんですよ。たまり場って言っても、東栄町は人口減少率が愛知県でトップです駅は安藤忠雄さんの設計ですが、待ち合い場所がたくさんあって、若い人が誰と話すのでもなく、パソコンしたり本読んでたり。なんかゆるくそこにいる。ノマドやワーケーションなどとかなり近い。街の中に、共有でき居場所がちゃんとあることが求められているのかなと思います。人じゃない場所」っていうテーマで研究した人がいて、ハッとさせられたんです。コロナになって一人でいる時間はすごく増えた。その中で、一人じゃないって感じる場所があることの大切さを再確認した。図書館、喫茶店そして駅。人や交通の結節点というのは、いろんな人がやって来て、またどこか次のところへ行く。一人なんだけど、から、来る人がいる自分と同じようにここにやって来た人か心配になりますたちがいる。何て言うか、言葉は交わが、たまりたくなるさないけど共在感覚のある寛容な場場所になることを期所。少し大げさに言うと、自分がこの待しています。私も社会の一員であるということを確認でもちろん行きます。きる場所。そんな見方や価値観で、こまた、豊橋鉄道渥美れから「みんなの場所」をつくりた線の終点、三河田原いって考えている人の背中を押す教育去年、卒論生で「一人だけど一や研究、そして実践をしたいと思っています。若い人が新しい価値を生み出す土壌に我々がなれればいいですね。そういう意味でも、環境学研究科がどういう人材を生み出していくべきかということに通じますね。バーチャルでいろんなことができるようになったんだけれども、リアルに集まることにも依然として価値はあって、そのための場所というものも価値が高まる、それに応えられる場をどうやってつくるか。どうつくり替えていくか。コロナ禍で「ソーシャルディスタンス」という言葉がよく出てくるようになりましたが、それは正確にはフィジカルディスタンスと言うべきです。実はソーシャルディスタンスとは、今日お話しした内容そのものなんですよね。いわば「心地よいソーシャルディスタンス」がどうすれば実現できるのかという方向性です。これをテーマにして考えると、研究科の皆さんと共有できるものが非常に多いように思いました。今日はありがとうございました。小松加藤小松中田加藤共有できる居場所を広げて 加藤 博和 かとう ひろかず博士(工学)。専門は脱炭素都市・交通戦略、ライフサイクルアセスメント、地方創生政策。脱炭素のみならず人口減少・超高齢化やインフラ老朽化、巨大自然災害対応など課題山積の日本における都市・交通システムのあり方を分析し、国や地域に提言している。
元のページ ../index.html#7