野の形成過程をご研究されて何かお考えはありますか。堀 動も活発なので、平野の多くは長期的にみると沈降しています。木曽三川下流域に分布する濃尾平野も沈降していて、過去の地形を形作っていた堆積物は今の地表面よりも下に現れます。そのため、現在の地形と過去の地形は必ずしも同じではありません。僕らは今の川を見て、あれこれ考えてしまうのですが、昔の川の姿についてももっとイメージを持たないといけないでしょう。また、大きな川沿いは高い人工堤防で守られているので安心感を覚えるというか、錯覚してしまうのかもしれませんが、実際の土地の高さは川とほとんど変わりません。ハザードマップに示された危険度の大小だけで日本は降水量が多く、地殻変平井 なく、実物の川、特に増水時の川を僕らは常に意識しないといけないと思います。気候の安定した時期に、人間が災害の種を蒔いているというのは、地震を見てもそうですね。地震でよく揺れるのは川が氾濫してできたような低地で、そこには人はあまり住まない方がいいのですが、水害のことを忘れて住み始める。特にここ100年、西洋的な土木技術、建築技術が入ってきてからは、自然を征服するというと言い過ぎかもしれませんが、人類の英知で災害をある程度抑え込むことができると思ったので、そういう技術を駆使してどんどん低地にまちを広げていきました。でもそれを超えるような災害が来たときには大きな被害を受ける。私が言うまでもなく、寺田寅彦が『天災と国防』でも指摘しています。「いやが上にも災害を大きくするように努力しているものはたれあろう文明人そのものなのである」と。人間にとって不都合だから災害というわけで、自然にとっては単なる自然現象。自然現象はたいがい恵みと災いの両面があります。日本は世界の中でも災害が多いと言われますが、逆に言えばそれだけ自然の恵みも豊かです。過去の地震を調べるなかで名所図会などをよく見ますが、断層とおぼしき段差や水辺の景観は人を惹きつける、水も豊富で酒蔵が建つ。怒られるかもしれませんが、自然の恵みを受け取りつつ、しかし時々災いも訪れるということを忘れずに、あまり調子にのらず過ごしていくことが大事ではないかと、私は思います。境がよければ適応する。だからこそ生き永らえてきたのですが、その後に来る大きな破綻に対して、備えなければまずいんですよね。江戸時代には、享保、天明、天保の三大飢饉がほぼ50年周期で起中塚 我々は生き物ですから、環きています。村の長老は、いつ飢饉が起こるかわからない、浮かれるんじゃないぞと一生懸命書き残しています。今我々が議論しているような歴史に学ぼうという姿勢は、昔からあったんだと思います。そして命を救う役割を果たしていたと思います。少し大きな観点ですが、歴史的なことを踏まえると環境問題に対して人は、社会は、どのようにアプローチしたら、しなやかに対応していけるでしょうか。私は地球研プロジェクトの成果をまとめる上で、数十年周期の気候変動のたびに人々がどういうふうに対応するかという観点で話を組み立てました。3つほどやるべきことがあって、1つ目は変動を予測して対応できるようにする。今この瞬間は起きてなくても5年10年、20年後に起きる可能性がある。それは現在の生活に大きな影響をもたらします。2つ目は変動が起きないようにすること。門脇 中塚 歴史に学ぶ、多様な行動変化 平井 敬 ひらい たかし博士(工学)。専門は地震学。地震動の分析と予測および地下構造探査に関する研究を行うかたわら、歴史上の災害に関する文献調査と古文書解読の人材育成を行っている。
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