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て広域のガバナンスを求めて古墳時代という初期国家の出現をみます。気候変動により社会が変わらざるを得なかった一つの環境適応の事例だと解釈できます。    る中世温暖期がありました。日本では暖かくなると乾燥するんですね。当時日本は律令国家で土地はすべて国有でしたが、干ばつが激しくなり灌漑ができなくなって耕作放棄地になっていきました。その後に出てきたのが荘園制です。力のある貴族や寺社が国にとって代わる形で、いわゆる民間資本が耕作放棄地を再開発していきました。つまり中央集権の古代国家が実質的に壊れて、地方分散の中世の日本に変わっていく。そのひとつの契機が10世紀の大規模な干ばつだったと考えられます。もう一つ、10世紀ごろにいわゆ数十年周期の気候変動にも、飢饉や戦乱との間に強い関係性があることが、日本を含む世界中で明らかになってきました。このように気候変動が社会転換のトリガーになるということは間違いないのですが、問題は人々がそれにどういうふうに応答したかです。国家の形成につながった時代もあれば、国家の解体につながった時代もあります。江戸時代には世界に先駆けて高度な市場経済のシステムをつくり始めます。時代によっていろんなことが起きていて、発展史観などは成り立ちません。その時代の人たちの創意工夫でうまくいくときもあれば、むちゃくちゃになるときもある。だからこそ学ぶことも多いと思っています。堀 気候変動が人間社会の変化のトリガーになると言われたので中塚 門脇 すが、かつて地理でも環境決定論の議論があって、様々な批判があったように思います。気候変動がトリガーになるという考え方は、人文科学や社会科学の方にも受け入れられつつあるということですか。なるところです。私自身、歴史学者や考古学者の研究をある程度勉強した上で議論をしていますし、古気候データの精度がかなり上がってきたので、彼ら自身もそのデータを見て、歴史の事象とすごく合っているということを実感しているようです。新しい高精度のデータに基づいて、具体的な議論が始まっているのです。をつくり、道具をつくり、文化や制度をつくって応答するので、人間がどう対応したかは社会のあり方によって様々であると考えます。平井先生、古文書記録からその対応の仕方、地域による違いなまさに文理融合研究の鍵と人間は環境に対して社会ど見ることはできますか。対応の仕方は時代と場所によっていろいろです。記録の残り方も時代によって違います。江戸時代以前の記録ですと、残るべくして残ったような、しっかりした記録が少数あります。近世には、意図せずして残ったというものもあります。だから情報の質も玉石混交で、歴史地震の分野でいえば、一番信用できるのは、その地震の体験者がその時に書いたものです。そういう話を聞いたとか、何年も経ってから書かれたものもあって、それらは他の資料と比べてみる必要があります。おそらく次の災害の種を蒔いているのは、気候が安定していて静かなときではないでしょうか。なぜそうなるのか。古文書に書かれていない時代、災害記録がない時代に人が何をしてしまったのか、自然に負荷をかけ過ぎたのか。そこから逆に学べることがあると思うんですが。堀先生、現代も同じで、ハザードマップで危険とされているところでも開発が行われる、私たちは災害を忘れてしまっています。平平井 門脇 人間は、災害の種を蒔く堀 和明 ほり かずあき博士(理学)。専門は自然地理学で、河川・海岸に分布する地形や堆積物の形成過程を野外調査や試料分析にもとづいて研究している。学部では文学部の教育を担当。

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