距離へ、かつ長期間滞在できるからである。そして訪問先でのケアがしっかりしているからでもある。これも調査中の出来事であるが、奥さん達数人と雑談中に、産婆さんの話になり、「そういう人がいないではないが、私たちもするんですよ、実は昨晩も」といい、隣の小屋を指さし、8時間前に生まれたばかりの赤ちゃんを抱いた若奥さんを連れ出して来た(写真7)。私は日本の近世・近代村落史が専門であるが、その時代にタイムトラベルできないもどかしさがある。南アジアの農村に入るのは、なんとか当時の日本を実感したいためでもある。屋敷地という空間で誕生し、結婚し、労働し、葬儀が行われる。そこは近世をも通り越して中世日本の姿ではないか、と思うことさえある。こうした中世と現代が同居する日常のありのままを、私は、ニュース性、事件性に特化させることなく、すなおに記述し伝えることに力を入れていきたい。壺造りカーストの日常 ─ 生業と通婚 ─09
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