《広報委員会からの追記》例で開催している。(どちらの場でも、一度も大川教授を見かけたことがないのが、残念だけれど。)ごくごくフツーの人たちが、ただただ、「名古屋の片隅に残された123.4haの自然を残したい」という気持ちで集まっている。有名人もいないし、資金もない。素人の集まりだから、思いつくことは「時代にそぐわない古臭い手法」(大川教授p44)だったかもしれない。この方法では、「世論を盛り上げることは難しい」(同)のかもしれない。もっと上手にやれたのかもしれない。けれど、それなら、大川教授にはもっと素晴らしい方法を提案して欲しかったな。(ついでに言うと、「万博に絡めて・・・(同45)」を取り上げなかったのは、エネルギーが無かったからじゃなくて、その案自体あんまり魅力的とは思えなかったからなの。)大きな組織の前では、私たちフツーのおじさんやおばさんの声はホントにホントに小さい。その声が大きな声になることはないかもしれない。それでも、声をあげていく事は大切だという事を「守る会」の運動を通して知った。「声の上げ方が悪いから失敗したのだ。」と、声をあげた人を批判するのは簡単な事。けれど、声のあげかたの是非ではなく、その声を取り上げなかった社会に問題があるんじゃないかしら。この現代社会の問題点こそ、分析研究していただきたいなあ。『KWAN環』11号、35〜50頁掲載の大川睦夫「相生山で『瓢箪から駒が出る』?−転機を迎えた緑地保護活動に関する同時進行的研究備忘録」に対して、「相生山の「相生山の自然を守る会」が教えてくれた事 『KWAN環』11号掲載の大川教授執筆エセイに対して30
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