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崩れた国道43号岩屋高架橋から落ちたトラック(撮影者:前田耕作:神戸大学附属図書館「震災文庫」提供)変する世界の始まりでもあったように思う。身近なこととしては、着任早々、前年から騒がしくなっていた雲仙普賢岳から『火砕流らしきもの』がでたことだ。その直後の6月3日には、四十数名の主として報道関係者の命が奪われる災害となった。有名になった火砕流の災害はその後4年も続いた。それからは激動の15年、実にいろいろな出来事に出会った。地震火山に関して思い出すと、忘れ去られがちな1993年7月の北海道南西沖地震(通称は奥尻島の地震)では、津波で200人以上の命が奪われた。そして、1995年の阪神淡路大震災、2000年の有珠山と三宅島の噴火、2004年12月のスマトラ島沖地震津波災害など、枚挙にいとまがない程だ。寺田寅彦は「災害は忘れた頃にやってくる」という意味のことを言ったが、ボクにとっては「災害は忘れないうちにやってくる」のだ。しかし、「知識として知っているだけでは忘れたも同然、災害の程度をイメージできること」が習慣として身に付いている必要があると痛感した。そのためには、常日頃に訓練しておくことが肝心なのだと思い知らされた。自然の出来事ばかりでなく、大学という組織も教養部の解体や大学院重点化、そして法人化というように戦退職にあたって 〈阪神淡路大震災の衝撃〉27

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