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【これからのために】た後、去年の春に勇退した森博嗣の「どこを見ているか」と題する随筆が載っている。本来なら3月の9号に掲載されるはずだったが本人の都合で遅刻した告別原稿だ。私はこの内容に7〜8割方賛同している。流石に、これから筆一本で生きていこうという人の文章だ。実は、私も1990年後半までには勇退してギリシアの島に住もうなどと大それたことを考えたことがある。このときは、私より若いのに世渡りの知恵に優れた黒田達朗さんが、適切な助言をしてくれたので大きな危険を冒すことを断念して良かったんじゃないかと感謝している。だから、私は洞察力、文才、気力と体力に恵まれた森さんが羨ましい。結局定年まで便々と教授職にしがみついて過ごしたことに忸怩たる思いだ。似たように考えている同僚も少なくはないと信じているが、森さんの随筆が波紋を広げることなく、話題にもあまりならないように見えることに、私は失望している。偶々私が直接に感想を聞いたのは、管理職の教授と理系の助手の二人だけだが、いずれもやや否定的な結論で予想の範囲内だった。本来なら、文部科学省主導の大学改革に賛成する人も批判的な人も、森博嗣の問題提起について大いに率直かつ真剣に議論すべきだと思う。多忙化が加速する職場の流れに掉さして、あるいは渋々であろうと、「走りながら考える」ことさえ難しい状況のなかで、同僚の短い文章さえ読む余裕がないのだとしたら、何をか言わんや。こんな知的雰囲気に乏しい職場で、“KWAN“の創刊当時の理念が実現される見込みは薄い。だから、この4月から現在の西澤泰彦編集長の跡を襲う新編集長は指導力を発揮して、4年前の理念が現在でも通用するのかどうか、是非再検討してほしい。その結果、改革推進派が望むようなまったく新しい刊行理念が打ち立てられてKWAN「環」創刊後の4年間を顧みて 「変わりゆくエリート教員文化」のなかで23

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