【話題にならなかった森博嗣氏の随筆】が多い。2号でも辻本誠「『やせ我慢』の記録」など、面白いものが少なくない。こうして幸先良く船出したかに見えた“KWAN“だったが、読者の中には、「なぜ初代広報委員長の大川が自ら“KWAN“にしゃしゃり出ているのだ?」と不愉快に感じた向きもいると思う。2号には大川睦夫「日本の街路はなぜ快適でないんだろう?」と題して「トヨタの城下町=名古屋」の都市計画を批判した随筆が載っている。その後も6号に「壊滅の危機にさらされるヒメボタル棲息地」、8号と9号に「風前の灯火? ヒメボタルが棲息する相生山緑地の運命」(上・中)を書いた。その後はこれらの小論が自ら招いた「相生山の自然を守る会」の強硬派との紛糾にうんざりして、どうしたものかと思案に暮れていたが、何とか11号の「相生山で『瓢箪から駒が出る?』」で、辛うじて落とし前をつけることができたと思っている。だが、私は「出しゃ張り」ではない。“KWAN“を1冊出す度に編集部の5人で会食をした。できる限り過激なゲストを迎えて、一回ごとに総括しながら次の企画について話合うことにした。ゲストとして呼ばれたPeter High は「コンクリートは反自然、反環境だ!」と挑発して、森博嗣と深刻な議論となり、私は喜んだ。このような話し合いのなかで、才能のある寄稿者が見つけられなかったときには自分たちで書こうと提案した。これに応えて最初に平原靖大が書いた「21世紀どまんなかハイテク超省エネ生活」が2号と3号に掲載された。続いて他の編集部員も短い書評を寄稿した。こうした流れの中で編集委員に、「大川さんも書いてくれませんか?」と言われて引っ込みがつかなくなって書いたのが、私の“KWAN“への最初の寄稿だった。去年の7月に刊行された10号には、初代編集長を務めKWAN「環」創刊後の4年間を顧みて 「変わりゆくエリート教員文化」のなかで22
元のページ ../index.html#22