【はじめに】1991年に、定年を待たず職を退きました。それはとアウステルリッツは語った。ひとつには蔓延する愚昧がついに大学にまで及んできたことを思い知ったからですけれど、もうひとつは、以前からの念願にしたがって、建築史と文明史についての私の研究を文章に纏められないかと思ったからなのです。( W.G.Sebald、鈴木仁子訳『アウステルリッツ』白水社、2003年)何とか無事退職できそうな目処がついてほっとしたいのに、こんなに雑多な仕事を片付けなければ辞められないのかと溜息をつきながら老骨に鞭打っている日々だ。この後退職する予定の人々に「他山の石」となればいいと思う。公的な面だけに限って少しだけ書くと、このKWANは別として、名大トピックスの原稿も一時は断ろうかと思った。生協の「かけはし」は丁重にお断りして、退職後に投稿することで勘弁してもらった。「名大日の丸事件」の当事者として叙勲申請は当然お断りした。最終講義という儀式や個人送別会などの好意的な申出も丁重に断った。「老兵は死なず、ただ静かに立ち去るのみ。」在職中は物議を醸したことも一再ではなかったし。これらは名大を辞めるための仕事だが、他にも私事ではない仕事を抱えている。一つは今年5月3日憲法記念日に長崎で開催される憲法集会の裏方として企画・調整にかなりの時間を割いている。ドイツ国法学の演習で教えたこともあり、今は地元の大学に勤めている教授から頼まれた件なので仕方がない。二つめの学外の仕事は、この数年来手がけている超ロウカルな天白区相生山の自然保護市民運動だ。5年前に環境学研究科に移ってから、何か自分の職場にふさわしい課題がないかと探した。その結果見つけたのがお膝元の極めて地域的な主題だった。これなら、月にKWAN「環」創刊後の4年間を顧みて 「変わりゆくエリート教員文化」のなかで16KWAN「環」創刊後の4年間を顧みて「変わりゆくエリート教員文化」のなかで大川睦夫 社会環境学専攻 社会環境規範論講座
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