話は1年半ほど前に遡る。遠い昔の出来事のような気もするし、熱病にうなされた白昼夢のような気もする。記憶は薄れているが、たしか初夏の汗ばむような日だったと思う。いまは亡き増澤敏行先生と、建築学の西澤泰彦先生が2冊の赤い本(増澤敏行編、名大環境学集成2003-3、2004-3)を携えて研究室にやってきた。お二人が持続性学プロジェクトで活躍されていたことは知っていたが、私自身は研究科への貢献にあまり熱心でなく、濃密な時間をともに過ごすことになるとは、このときは思いも寄らなかった。そのときの増澤先生の話は、それらの赤い本の内容をベースに市販本を出版したいということ、その企画を名大出版会に持ち込んだところ「環境学を育てることに責任を持てない」という理由で断られたこと、しかし別の出版社を探して何とかしたいので手伝って欲しいということだったと思う。逡巡する余地はほとんどなく、私が編集幹事になることはそこで既成事実になった。誘われた本当の理由はよくわからないが、諏訪清陵高校出身の増澤先生に、地理学に対するある種の愛着があったのかもしれない。赤い本を市販本に仕上げるのには、いくつかのハードルと心配事があった。まず環境学研究科の持つ枠組みを世に問いたいという増澤先生の情熱は理解できたが、環境学研究科スタッフが初めにあって、それらの研究に関わるデータソースの紹介というコンセプトでは、正直、名大出版会の見解は正鵠を得ていたように思われた。データソースベースを改めてトピック(つまり研究ネタ)ベースにすることと、全体のストーリーを基盤・自然・人・ものの4部構成にすることを、最初に決めた。ただ、いま思うに、環境学の理念や体系について三人で議論した記憶はほとんどない。むしろ、増澤先生のアイディアを具体化する方策について三人で考えた、と言った方が正確かもしれない。『環境学研究ソースブック』ができるまで10『環境学研究ソースブック』ができるまで高橋 誠 社会環境学専攻 地理学講座
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