環境学研究科
Graduate School of Environmental Studies

Home > 環境学と私

  環境学と私
このコーナーでは、環境学研究科の教員がそれぞれの関心や出来事について広く語りかけます。

 持続性学と安全安心学 ―自然界とどう付き合うか―

顔写真
都市環境学専攻 環境・安全マネジメント講座
平井 敬 助教
写真
大阪市の大正橋付近にある「大地震両川口津浪記石碑」宝永・安政の南海地震による津波の教訓を今に伝える。最後は「願わくは心あらん人年々文字読み安きよう墨を入れたまふべし」と結ばれ、現在も定期的に手入れが 行われている。
 
写真
が咲き、実がなり、葉が散った。夏には隆盛を誇ったキャンパスの緑が、冬を迎えた今、見る影もない。―――平家物語の冒頭に説かれるように、この世界のすべては無常です。平成7年の阪神・淡路大震災、平成23年の東日本大震災では、我が国の多くの人が世の無常を実感されたのではないでしょうか。特に、私の博士後期課程在学中に惹起した東日本大震災には、地震防災研究者としての出発の時期に、脳天を金槌で叩かれたような衝撃を受けました。
意に反して世を去ることは、人生において最大の不幸であると思います。その意味で、自然災害の犠牲とならないことは、人が幸せに生きることの必要条件であるといえます。それでは、徹底的に自然災害を避けて、地震も津波も台風もない土地を探して住まうのが良いのでしょうか。私はそうは思いませんし、現実的にも不可能でしょう。
震も、津波も、台風も、あるいは他の自然災害も、それだけでは単なる自然現象であり、災害とは呼ばれ得ません。そこに無防備な人々が住んでいるときに、災害となります。しかし、自然現象には恵みと災いの両面があります。地震の原因となる活断層は清らかな地下水の通り道となり得ますし、津波をもたらす海で獲れる魚介類は食卓を潤してくれます。嵐は大変ですが風や雨はなくてはならないものですし、雷も空気中の窒素を水溶性の窒素酸化物に変えて作物の肥やしにしてくれます。我が国は自然災害が多いといわれますが、逆に言えば、それだけ自然の恵みが豊かだということです。ときに自然が牙を剥くことがあることを弁えて、きちんとした備えをしている人々が住まうところでは、自然の営みは大きな災害にはなりません。
境学研究科が掲げる「持続性学」と「安全安心学」は、ごく表面的に見れば環境問題と防災であり、ややもすれば別々のものと考えられることがあります。しかし両者の根底には、人間は自然界とどのように付き合うべきかという大きなテーマが横たわっているように思います。
(ひらい たかし)
 本教員のプロフィール