環境学研究科
Graduate School of Environmental Studies

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  環境学と私
このコーナーでは、環境学研究科の教員がそれぞれの関心や出来事について広く語りかけます。

 福島第一原発で何が起こったか

顔写真
都市環境学専攻 環境機能物質学講座
佐野 充 教授
(環境情報学)
島原発事故はどのように起こったのだろうか?なぜ事故を防げなかったのだろうか?
月11日14時46分、震災発生により、原子炉に制御棒が挿入されて核分裂反応が停止した。しかし、核分裂生成物の崩壊熱は原子炉停止1時間後で2万kW、1カ月後でも4千kWで莫大な発熱量だ。だから停止した原子炉でも空焚きになれば燃料が融け、放射性物質は飛散する。原子炉の冷却を開始したが、1号機は古く、急速に冷やすと原子炉容器がひび割れする可能性がある。冷却電磁弁を手動で開閉しながらゆっくりと冷やし始めたが、15時37分、弁が閉じている時に運悪く津波が来た。冷却機能喪失だ。18時18分、ようやく電磁弁を開け冷却を再開したが、なぜか7分後に弁が閉じられ、冷却が止められた。また、なぜか1号機の冷却停止情報が所長に伝えられなかった。水が無くなった1号機の空焚きが始まり、3時間後の21時51分に建屋内放射線量が異常に高い数値290mSv/hを示した。炉心溶融と放射能漏れの確たる証拠だ。
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日3時33分、2号機の緊急炉心冷却装置の作動を確認できた。炉心溶融している1号機と空焚き状態と勘違いしていた2号機の対策に、深刻な事故への対処マニュアルも無く、放射能と暗闇の中で現場は大混乱していた。
大の謎は13日2時44分3号機と14日13時25分2号機の冷却機能喪失だ。それまで両機ともバッテリー駆動の緊急炉心冷却装置が働き、原子炉は冷却されていた。当然だが、バッテリーの電気が尽きれば炉心溶融することも、そしてバッテリーの電気が何時尽きるかも分かっていた。しかし、予備のバッテリーを持ちこむとか、集めた電源車62台で充電するとか、対策があったはずだし、時間もあったと思われるのに何らの対処もされていないように見える。なぜか報道もほとんど無い。私の知るところ唯一の報道はTBSの特番で、「人手不足で、バッテリーが重くて運べなかった」。福島第一原発は6号機まである日本で最大クラスの数千人の作業員が常駐する発電所だ。人手不足?確かにそうかもしれない。14日夕、現地にいた所員数は約270人に減っていた。そして、その晩にも約200人が去り、死を覚悟した70人余りとなった。15日未明、現地退避を5度も懇願した東電本店に、震災以来ほとんど寝ていない管総理が怒鳴りこんだ。
ち去った人たちを非難する話では無い。深刻な事態に陥った時に、作業員が現場を立ち去り、当事者が後始末をできなくなってしまう事業こそが問題なのだ。そして、原発の危機はまだまだ続くが、「東京に人っ子一人いなくなり、日本が国家として成り立たなくなっていた」、こんな事態にならなかったのは、運が良かっただけに過ぎない。
(さの みつる)
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