環境学研究科
Graduate School of Environmental Studies

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  環境学と私
このコーナーでは、環境学研究科の教員がそれぞれの関心や出来事について広く語りかけます。

 ビアク(Biak)

柴田先生
地球環境科学専攻大気水圏科学系
教授 柴田 隆
(気候科学)

気候学の教えるところでは、過去数百万年、氷河期と間氷期が十万年ほどの周期で入れ替わっていて、氷期、間氷期の間の変動の激しさは驚くほどでした。現在は約一万年前に始まった間氷期、暖かい時期、にあたり、この間の気候は比較的安定しています。ところで、最近百年間は温度が急速に上昇、いわゆる温暖化です。従来、温暖化二酸化炭素原因説に対しては懐疑的な見方がしばしば示されていました。気候変動に関する政府間パネル(IPCC)は、最新の第四次報告で、温暖化の原因はほぼ確実に人間活動を起源とする温室効果ガスの増加であるとしています。種々のプロセスが複雑に関与している気候が、どのように変動しどのように維持されるかは、いまだ、十分に解明されているとは言えないのです。が、いずれにしろ今や二酸化炭素を増加させるのは、爆薬が隠してありそうな場所で盛大に焚き木をするという行為に似ているように思われます。
上は、歓迎されていない変化の話でした。私は未解明の大気プロセスの一つを研究するために、インドネシアのビアクという島にかよっています。ビアクは赤道のほぼ直下、ニューギニアの北に位置しています。一月、観測の合間、一緒に仕事をしている研究仲間に、地元の人が島唯一の観光スポットと呼んでいる、洞窟(鍾乳洞)を見に行こうと誘われました。歩いてほんの十分、第二次大戦で日本の軍隊が戦った場所であるらしいと言います。現地は以下のようでした。鍾乳洞に入る直前に目に入る、戦闘中の爆発によって洞窟が陥没してできた直径・深さ二十メートルほどの巨大な穴。薄暗く湿度の高い鍾乳洞内に放置されている弾痕が残ったドラム缶。半分土に埋もれ、毛の無くなった兵士の歯ブラシ。などなど。聞けば二千人以上がここで亡くなったとのこと。この島には一万数千人が配備されていましたが、生還した者わずか二十数名。今も集積されている遺骨にしばし合掌。一昨年から訪ねていますが、ビアクは日本人には実に重い島であることを認識しました。第二次大戦から六十数年、今同じ場所で地球環境の研究ができる世の無常に、ここでは感謝したいと思います。
(しばたたかし)

気球の放球
大気観測の気球を放球した瞬間。つるされているのは高精度湿度計です。この画面の奥1kmほど先に紹介した鍾乳洞があります。

メインストリート
島のメインストリート。田舎の通りといった風情ですが、週末の夜ともなると遅くまで若者達で賑わいます。

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