KWANロゴ
21世紀東京どまんなかハイテク超省エネ生活[後編]
文明の興亡:環境と資源の視座から(2)
地震ホームドクターの先達たち(1)濃尾地震と関谷清景
環境資本としての海
新環境倫理学のすすめ
事務部の窓

名古屋大学大学院
環境学研究科へ

 

濃尾地震と関谷清景
地震火山観測研究センター 木股文昭

■はじめに
 1891年、内陸で発生する地震として最大級にあたる濃尾地震が岐阜県西部で発生し、根尾谷断層が形成された。当時、岐阜測候所では、地震計が整備され、初動の記録をきちんと残している。1944年、駿河・南海トラフで東南海地震が発生した。ちょうど、掛川では水準測量が実施されていて、前兆現象とも考えられる傾斜変動を観測している。
 この二つの貴重な観測は「犬も歩けば」という偶然だろうか。いや、二つの観測はそれぞれ、当時 の地震学の研究者が大地震発生を危惧したうえで、観測を依頼していたのである。一人は関谷清景、日本で最初の地震学教授、もう一人は、大森房吉との論争で有名な今村明恒である。彼らなしでは、岐阜測候所の地震記録も、掛川における水準測量も存在しないのである。
 地震や火山は市民生活に大きく影響する。それだけに、地震火山研究者の社会的責務は今に始まったことでない。まず、濃尾地震と地震学研究者関谷清景について調べてみる。

■濃尾地震と関谷清景
 1891年、M8クラスと内陸に発生する地震として最大規模となった濃尾地震が岐阜県根尾村での断層運動として発生した。地震が断層運動の結果であることを明確にしたのがこの濃尾地震である。根尾水鳥断層は天然記念物として保存され、現地には断層資料館が建設されている。

 濃尾地震の波形は、岐阜測候所のみならず、可児と垂井の郡役所でも観測されている。そもそも、近代的な地震計は、ミルンやユーイングらにより1980年代後半に国内で初めて開発されたものである。その数年後に、岐阜県に三台も設置されるような充実した地震観測網が確立できるほどの経済力があったとは思えない。それなのに、岐阜県下では3点で地震計が働いていた。なぜだろうか。
 村松郁栄(岐阜大学名誉教授)は、岐阜県下に展開された地震観測網について以下のように考察している。
 「岐阜測候所では明治18年から有感地震が多くなり、明治20年には強震が起きたので、県内の全郡役所で地震回数を報告することとし、岐阜測候所に最新の地震計と簡単地震計を備え、さらに東濃(可児郡役所御嵩)と西濃(不破郡役所樽井)にも簡単地震計を設置した。当時測候所は県に所属しており、すべての予算は県費であった。このような観測体制を計画したのは誰であったか。東京大学地震学教室の教授関谷清景は大垣の人であり、簡単地震計の製作者である。岐阜測候所長井口と関谷は相談したに違ない」。
 関谷清景は、1854年に大垣で生まれ、藩校学館(現在の大垣興文小学校)から東京の大学南校、開成学校工科へ進学し、22歳で英国に留学する。結核のため1年間で帰国し療養生活後に、東京大学でミルンやユーイングの研究を継承し、地震計の開発と地震観測網の構築に携わる。1886年に初の日本人教授12人が誕生する。彼もその1人で、世界初の地震学教授となる。
 村松が推論した関谷による岐阜県下の地震観測強化は、彼の研究活動から簡単に考察できる。力武常次(東京大学名誉教授)は東京大学での関谷の活動を以下のように紹介している。
 「(関谷は)4階級からなる震度階をつくり、また測候所に地震計を設置する努力をした。1888年の磐梯山噴火(死者461名)の調査に際して病が再発し、その治療中熊本地震(M=6.3、死者20、前回239)が起こった。関谷は病中にもかかわらず、出張して調査に当り病を悪化させた。
 彼は再度神戸方面で療養につとめたが、1891年10月28日に濃尾地震(M=8.0)が発生して、出身地の岐阜方面は激甚な被害を蒙った。関谷は病のため直後の学術調査に参加することはできなかったが、同年11月末には現地に赴いて専ら駕籠を用いて視察をおこなった。
 1893年関谷は帰京し、震災予防調査会の活性化などに努めたが、またまた病に倒れ、1894年末兵庫県須磨の禅昌寺に再度転地した。そして、1896年1月8日同地で終焉を迎えた」。
 42歳の若さである。やりたいことも多く、無念の一言だったと想像する。
 関谷の行動力から、村松の推理はしかるべきと考える。それにしても、すごい行動力である。いや 執念である。自分の命と交換する観測になっている。火山映画では観測計器の故障を直すため噴火直前のカルデラ内へ降りていく一シーンもある。
 たしかに現在の観測体制は、関谷の時代と比較し、飛躍的に拡充されている。しかし、最近の三宅島のカルデラ形成は私たちの知識の浅はかさを裏付けている。東海・東南海地震でも、目こぼれのない観測網を早急に構築することが重要と考える。
  
参考文献
橋本万平:地震学事始 開拓者・関谷清景の生涯,朝日新聞,1983
村松郁栄・他:濃尾地震と根尾谷断層,古今書院,2002
力武常次:地震予知−発展と展望,日本専門図書出版,2002

図の説明 岐阜測候所、不破郡役所、御嵩観測所の簡易地震計で観測された1891年濃尾地震の波動、村松・他(2002)

COPYRIGHT (C) Nagoya University. All rights reserved.