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21世紀東京どまんなかハイテク超省エネ生活
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21世紀東京どまんなかハイテク超省エネ生活
平原靖大

  ○月×日 午後10時、東京駅に降り立ち、高校の同級生Y氏の家に向かう。

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 Yの住処は江東区、地下鉄東西線の門前仲町あたりである。東京駅から東に2km位なら、わざわざ地下街を迷走して大手町駅に行く気がしない。明日の会議は午後からで、八重洲口は新幹線のホームからも近いし、徒歩も悪くない。八重洲ブックセンターの脇を通り、とりあえず日本橋を目指して歩く。
 Yと会うのは東京で大学生をしている時以来で、10数年ぶりである。1週間前に、携帯電話にかかってきた電話が発端だ。Yの職業はコンピュータ・プログラマーだという。名古屋大学の"裏ホームページ"で、僕の1年生向けの講義の寸評を探し出すほどの能力を備えている。そこでの僕の評価は上々、”仏”に分類されていて、あだ名は”ヒゲ”だそうだ。こんな事なら剃らなければ良かったと後悔した。奇跡的にも、そのときの彼の携帯電話番号の即時登録に成功したことが、今回の再会のチャンスを作った。
 思い出すだに、Yは変な奴だった。僕がサクラ舞う東京・下北沢で単身下宿大学生活を始めたとき、彼は洗足で単身下宿“宅浪”生活を始めた。同じ環七沿いの下宿だったせいか、彼はよく最終の路線バスで何の前触れもなく僕の下宿に現れた。深夜のTV放映の映画「ひまわり」を見に来たYにたたき起こされ、僕はその映画のラストでのマルチェロ=マストロヤンニとソフィア=ローレンの永遠の別れのシーンに不覚にも涙を流してしまった。大地一面に広がるひまわりの映像と、静謐なメロディーの音楽にしてやられたのだが、そもそも、YはなんでTVぐらい買わんのかな、CASIOの電子キーボードは持っているくせに、、、。それから、「ひまわり」はまあ許すが、「ジョニーは戦場へ行った」は正直言ってどこか別の家で見て欲しかった、、、。
 買ったばかりの僕のPC-9801Fを使いたいと頼まれて、夏の暑い盛りに駅前で、晴れて大学生となったYと待ち合わせたときは、彼は少し離れた路上にあった僕の自転車の施錠を”勝手に”はずしたうえ、それに乗って現れた。4桁程度のダイアル鍵は5分もすれば解除できるらしいが、全く油断も隙もない奴だ。駅前にある雑貨店のウィンドウの前でふと足を止め、黄色と白のかっぽう着に見とれた後に、「暑いときはこういう”服”をじかに着るのが実用的でエエな(注:2人の母校は大阪にある)。」と真顔でつぶやいたので、松田優作をぐっと長身痩躯にしたようなYのあられもない主婦姿を想像した僕はあやうく日射病になりかけた。
 小さなレストランで向かい合って坐った2人のテーブルにランチが届いたが、Yの手許にはナイフとフォークがない。行儀悪く新聞を読みながら食べ始めた僕は程なくそれに気づいたが、彼は1分ほど凝固したままだ。カウンターの辺りにいる顔見知りのウェイトレスには僕の方が近いが、そのときはふと(このまま放っておいたら奴はどうするかな)と思って黙ってみていた。Yはやおら大きめのレタスの切れ端をつまみ上げて、それにライスや一口カツを器用に乗せて食べ始めた。ウェイトレスはやがて仰天して駆けつけて平謝りの体であったが、僕は「いいんです、こういう奴ですから」と正直に教えてあげた。Y曰く「インドあたりではこうやって食べてるンやろ」と至って平然としているが、ウェイトレスさんがとても気の毒に思えた。
 高校時代には夏休みだか冬休みだかに“興味本位で”一週間の断食をやって、最後は家中を這いずり回るようにしていただけの事はある。実家はごくごく普通のウチだったが、松田優作および主演映画「家族ゲーム」の大ファンであるYのことだから、実はとんでもない教育を受けてきたのかもしれぬ。
 東京を離れて9年になり、今でも月に1,2度は会議などで上京するが、ぼんやりとこの大都会を歩くのは久しぶりだ。そのせいだか何だか、こういうどうでも良い事をよくも覚えているし思い出すものだ、近頃では指導学生の名前もど忘れするくせに。左手の川の真上に、箱崎ジャンクションに向かって蛇行する首都高速が見える。由緒ある日本橋も、高速道路の煤煙とナトリウムランプにさらされる遺跡となって久しい。ビジネス街は背後に遠のき、眼前に永代橋が現れる。隅田川がここで2手に分かれて、脇にツインビルとタワービルが屹立している。住所からするとYの居所は大体この辺りだが、さすがにおもしろいところを住処にしているものだ。橋を渡ると、少し江戸らしい雰囲気がする、とは言い過ぎだが、古い都会の居住区に入り込んだことは確かである。永代通りから1本、裏道にはいると、明治時代風の建物や倉庫があり、いかにもドラマのロケで使われそうだ。

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 東京駅を出て1時間、ここで携帯電話に連絡をとり、程なくYと会うこととなった。別に感動の出会いという訳でもないのだが、普段ものぐさで同窓会には全く足を向けない僕にとっては、高校時代の友人に会うこと自体が数年ぶりである。見たところ、Yの風貌は目尻以外には全く変化を感じさせないもので、なぜか安心した(自分もYにはそのように映っているのだろう)。「ひさしぶりヤな」程度の挨拶で、飲めない2人連れは江戸風お好み焼き屋とかかれたのれんをくぐった。

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 Yと僕は37歳で、出会った高校・大学時代を起点にすると大体折り返し点にいることになる。大学卒業後はコンピュータソフトウェア関連の会社に7,8年勤務し、その後今のフリープログラマーに転身したらしい。ちょうどここ数ヶ月は完全オフで、”全く”働いていないという、羨望の生活をしている。数枚のお好み焼きをこてでいじくり回しながら、メカマニア出身の2人の興味が一致するオーディオやコンピュータ、とりわけAppleの昔のパソコンは良かった、的な話をした。現在の僕のノートパソコンを開いて見せて、明日の午後からの会議の日程と、少しの前準備の必要性を話したところで、Yはニヤリとして、このお好み焼き屋の座敷で、パソコンの充電をするように僕に勧めた:「東京電力とは契約をしてなイんヤ」。そして当然の帰結として、Yは現在の住処である単身者公団住宅に入居当初から、東京ガスと東京都水道局とも未契約である事実を僕に告げた。なるほど、変人の面目躍如たる生活様式を想像し、このとき初めてYとの再会を実感した。期待と好奇心にはしゃぐ心を抑えつつ、僕はお好み焼き屋を後にし、彼のハイテク・超省エネ住居に連れられて行くのであった。

 つづく

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