環境学研究科
Graduate School of Environmental Studies

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  環境学と私
このコーナーでは、環境学研究科の教員がそれぞれの関心や出来事について広く語りかけます。

 社会学者と環境学

顔写真
社会環境学専攻 社会学講座
丹邉 宣彦 教授
写真
豊田市のまちづくり団体が
整備したビオトープ
「社
会学とはどのような学問なのでしょうか?」と人によく聞かれます。ある小説家の本のタイトルに、「社怪学」という表現があったように、面白そうな感じがある一方で怪しげな臭いを嗅ぎ取るからでしょう。人間というものは個性をもち、複雑で予測不可能な存在で、1対1でも相手の考えていることが分からないときがあります。ノーベル章をとった研究者でも、妻の機嫌が一週間後どうなるかを予測することはできません。そのような人間が数万、数億というオーダーで関係を結びつくり上げているのが社会ですから、当然摩訶不思議な動きをすることになります。そのような社会や集団をあつかう社会学が方法論的な難題を背負いこみ怪しげなものになるのはある意味で当然のことです。
自身はこのような社会学の世界に身を置いて四半世紀余り、集団やネットワークなど、人間の集合性と集合行為がどのようにして発生するのかを、階層研究や都市研究を足がかりにして主として理論面から考えてきました。そんなことがまだ分かっていないのか、と言われてしまいそうですが、集団やネットワークがどのように成立するのかは社会の状態によっても異なり、社会学の永遠のテーマです。そしてようやく自分なりの考えかたや知見にたどりついたときに、環境学研究科に所属することになりました。社会学と同様、いやそれ以上に「環境学」という言葉は怪しげな響きをもっています。一見クリーンで先進的なイメージがあるものの、実際はいろいろな専門分野のごった煮状態で、ディシプリンとしても確立されていません。ですので言ってみれば「怪しげな」研究科の「怪しげな」講座に所属することになったわけです。
境社会学の専門家ではなく、理論志向の強かった私は、当然改組という事態に向き合うのにやはり若干の困難やストレスを感じることになりました。ただ、改組後から、豊田市、刈谷市などの自動車産業都市の研究にとりくむようになり、都市研究上の盲点になっていた、先進産業地域のコミュニティの調査研究を継続しておこなうようになりました。そうした中で実証研究の魅力を改めて発見するとともに、東日本大震災が発生してからは、防災まちづくりや被災地支援といったトピックで環境学研究の一端にも目を向けるようになりつつあります。振り返ってみれば、改組後に研究上の転機が訪れ幅が広がったわけで、人間何が幸いするのか分からないものです。思いがけずよい刺激とチャンスを与えていただいたことに感謝してこの雑文を終えることにしたいと思います。
(にべ のぶひこ)
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