環境学研究科
Graduate School of Environmental Studies

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  環境学と私
このコーナーでは、環境学研究科の教員がそれぞれの関心や出来事について広く語りかけます。

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地球環境科学専攻 地球惑星ダイナミクス講座
教授 山岡耕春
自身は、地震予知や火山噴火予知といった、地震・火山現象の解明と予測に関する研究をしている。ところが、環境学研究科とこのような理学的な防災研究との関連について一般にはよくわからないらしく、時々質問を受ける。その災害と環境問題とはへ理屈でも何でもなく、本質的なところで大きな共通点がある。
岡大学教育学部の小山先生は、災害の問題と環境問題を次のように統一的に説明をしている。自然現象が人間社会に不都合なように変化する場合、その変化が速い場合をわれわれは災害と呼び、変化がゆっくりとした場合には環境問題と呼んでいるとしている。地震は突然発生し、10秒からせいぜい数分で終わる。火山噴火も数ヶ月から数年の継続時間である。多少の長短はあるが、現象は急激であり、人間社会は全く適応ができない。現在環境問題として深刻な問題となっている地球温暖化は、基本的には100年もの時間をかけてゆっくりと進行する現象であるが、それでも1000年以上もの時間をかけて積み上げてきた人間社会には変化が早すぎ、対応が困難である。それに対して、大陸移動や地殻の隆起沈降のような非常にゆっくりとした現象は人間社会の変化の方が早く、環境問題とは呼ばない。また人間社会の変化が早い場合、たとえば遊牧民のように移動を常とする社会では、定住を基本とした社会に比べて自然現象の変化への対応が容易で、環境問題のとらえ方も異なるであろう。
のように、災害と環境問題じゃ、人間社会との関連において発生する問題であるという共通点を持った、きわめて相対的な現象である。環境学研究科で、文理連携の特長を生かして、いわゆる環境問題だけでなく地震災害などの防災を研究対象として扱う利点は、このような共通点があるからだと考えている。
て、地震や噴火などの災害には、別の側面があることも強調しておきたい。最近は中国四川省や岩手・宮城の地震など、災害の負の部分がクローズアップされる傾向があるが、地震や火山噴火は、そのサイクルの大部分を人間社会は恵みとして利用している。地震は地形を作る営みを持っている。別の見方をすると地形を作り上げる自然の営みの一部が地震として現れる。肥沃な濃尾平野は、その西端の養老断層の長年にわたる動きによって形成された。阿寺断層など、断層によって作られた直線状の地形をわれわれは道路として利用している。また日本列島が海面の上に顔を出しているのは、太平洋プレートの沈み込みによる圧縮力によるものであり、この力がなくなれば日本は沈没してしまう。噴火による火山灰などの噴出物は火山山麓になだらかな地形を形成し、農地などに利用されている。浅間山北麓の群馬県嬬恋村の高原キャベツはその典型的な例である。伊豆諸島は火山島であるが、溶岩によるなだらかな地形の上に人々は住んでいる。噴火をやめてしまった御蔵島は四方を断崖絶壁に囲まれた島になっている。
のように地震や火山などの災害と共生することを日本列島に住むわれわれは、文化として培ってきた。災害だけでなく環境問題にしても、人間社会が自然とどのように共生をするかという問題に帰着し、われわれ日本の文化的背景がその解決に大きな貢献ができるだろう。そのためには、自然をよりよく理解し、人間社会がどのようにつきあうかという、自然と人間社会との関わりについて深入り力を持った人材を社会に送り出していくのが、われわれ環境学研究科の使命ではないかと考えている。
 
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