環境学研究科
Graduate School of Environmental Studies

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  環境学と私
このコーナーでは、環境学研究科の教員がそれぞれの関心や出来事について広く語りかけます。

 南極越冬とゴミ問題

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地球環境科学専攻地球環境変動論講座
准教授 藤田 耕史
(雪氷・氷河気候学)

低気温−80℃、年平均気温−55℃、標高3800m、酸素は平地の約6割、4ヶ月は日が沈まない一方、4ヶ月は日が昇らず、特に昼でも全くの暗闇という期間が1ヶ月*。南極のドームふじ基地はそういう場所にある。おおよそ生物が生きていく上では最も不適当な場所で、2003年の1年間を過ごす機会を得た。約70万年前まで気候の歴史をたどることができる「アイスコア」を掘削するための、掘削場を建設するのが主な任務であった。
ームふじ基地は沿岸からほぼ千km内陸に位置しているため、最も近いご近所さん(昭和基地)までが千kmある。さらにいうと、半径千km以内に微生物以外の動植物は越冬していた8人の人間以外存在しない。雪上車は、気温が−60℃を下回るとキャタピラ周辺のゴム製品が粘性を失うために、ほぼ半年間は何か非常事態が起きても脱出すらままならない。危機管理の上ではまったくお話にならないくらい絶望的な場所なのだ。そして、「これ以上の隔離があるだろうか?」というくらいの隔離状態では、当たり前だが全ての作業をそこにいる連中だけで行わなければならなくなる。うまくやっていくためには、体育会的なノリが極めて重要になってくるのだが、ここで書きたいのはそういうことではない。
こには雪だけはいくらでもあるが、雪以外のモノは何もない。また、あまりの低温故に、出したゴミは分解されずいつまでも出した場所にある。こういう環境下で、我々は全て自分らで持ち込んだ燃料と食料を消費して暮らしていた。越冬が終盤に近づく頃には、大量の空ドラム缶と、それらの一部に廃棄物を詰めたゴミドラム缶が基地近くに並べられる。皆さんは自分が1年間に使った燃料と出したゴミの量を想像できるだろうか?雪以外に何もない南極内陸、そして、自分らが何もしなければゴミはそこにあり続けるという南極内陸、こういう場所以外では、なかなか認識しづらいことではなかろうか。この思いは、南天の夜空を彩るオーロラや、我々8人だけが目撃した白い大地の黒い太陽などの素晴らしい記憶と共に、今も棘のように心の片隅に刺さっている。
(ふじたこうじ)
*沿岸の昭和基地では冬至でも、昼間は新聞が読める程度には明るくなるそうだ。 といってもいわゆる普通の新聞は手に入らないが。

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オーロラの元での記念撮影。右上の明るい星は、大接近中だった火星。

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2003年11月24日、人類が南極で目撃した最初の皆既日食。内陸でこの瞬間を目撃できたのは我々8人だけという贅沢なショーであった。

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